「後悔」とは…
[名](スル)自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったとくやむこと。「短い快楽に永い後悔」「今さら後悔しても始まらない」(コトバンクより)
「あのときこうしていれば…」人間長い人生の中でそう思うことは多いはずだ。
僕が自分の関わる子どもたちに伝えているのは、「君たちの人生なんだから、自分で考えて悩んで決めて、自分でやって、結果も自分で受け止めるようになってほしい」ということ(もちろん全てを自分ひとりでするのではなく、調べたり、相談したり、手伝ってもらったりすることは必須だ)。
そして「後悔したくないなら、どうするのかしっかり考える」ということだ。失敗したくないなら、あるいは失敗を繰り返したくないなら、「なぜ失敗する(した)のか」「(頑張るだけでなく、具体的な行動として)失敗しないためにどう改善すればいいのか」を自分で考える力をなるべく伸ばしてほしいと思っている。
でも思うのは「何を選んでも絶対後悔する」ということ。
やらなければ、「あのときやっていたら…」
失敗すれば、「あのときこうしていたら…」
成功しても、「あのときこうしていたら、もっと…」
人間の欲にはきりがない。
そもそも人間は失敗や損したことの方が強く心にのこる生き物でもある。思考に強烈なバイアスがかかっているのだ。
例えば、
同じ千円でも、①拾って得したときと、②落として損したときでは、②落として損した方のダメージの方が大きい。同じ千円なのに。
また、
①五千円無条件でもらえる、②一万円を確立1/2でもらえるの二択だと、多くの人は①を選択する。期待値で計算するとどちらも同じ五千円なのに、損したくないという気持ちが強く働くのだ。
ということで、人間は損したくない生き物なので(それは生存の確立を上げるために必要な思考なのだが)、何を選んでも他の選択をできた可能性がある場合(いや、ない場でも)、絶対に後悔するのだ。
愚痴を聞いてもらったり、失敗を状況や他者のせいにして自分を納得したり批判したりして気持ちを落ち着かせることも必要だろう。
後悔だけを続けていても何も変わらないし、得しない。
起きてしまった過去は変えられない。
それでも後悔してしまうのだけれど。
でも後悔した内容を分析し、次の行動に生かすことができれば、後悔は「反省」に変わる。
できなかったことだけでなく、それを次どうするのかを考える。実際に行動に移して、前の失敗を克服する。
そうすれば、後悔は反省に、後悔するだけだった失敗は経験に変わる。
くよくよ悩んでも仕方ない。
後悔を反省に変えよう。
それが分かっていても、すぐに気持ちを切り替えられないのが人間なんだけど。