残念ながら世の中では、「何を言ったのか」よりも「誰が言ったのか」の方が重要視されることが多い。
その時、一定数の人に影響があるのは「その人が率先して汗をかくことができる人かどうか」ということ。
学校という現場では、昔ながらの伝統が大きな価値観のひとつになっている。
効率や効果、コストパフォーマンスという概念は、伝統的な不変、努力、熱血に完全に取って代われてはいない。多分世代が大きく入れ替わらないと無理だろう。
もちろん不変、努力、熱血に価値がないわけではないが、本当にそれだけでいいかと個人的には考えるところがある。
ただ、組織の伝統的なものを変えるのはひとりでは難しい。協力者が必要だ。
そこで伝統的な不変、努力、熱血を信奉される(主に年配や体育会系の)方に、協力者とまでもいかなくても賛同者になってもらうために必要なのが、汗をかくことなのだ。
子どもの指導や教材づくり、あるいは保護者との連絡で遅くまで残って働くこと。
休日に部活指導で出勤すること。
行事などで率先して動くこと。
単純によく働くこと。
そういう姿を見てもらうと、信頼関係が生まれる。逆説的に言うと汗をかかない人は、どんなことを言っていても信用しない人が一定数いる。
「別にそんな人たちに信頼してもらわなくていいし」「何で信頼されるために残業しないといけないんだ」というような意見もあるだろう。
単純に、そんな昔ながらの価値観の方と合わない人もいるだろう。
ただ学校というのは組織で、組織は一部の人たちだけでは変わらない。
そして一部の人たちだけでは回せない。
変えるためには、トップダウンで命令するか、たくさんの人が異動して入れ替わるなり、徐々に理解を得ていくなりで、雰囲気を変えていくしかない。
批判をする気持ちはわかるし、批判すればスッキリもする。
でも批判だけしていても変わらない。
批判すれば何か問題が解決した気がするが、実際はほとんどなにも変わらない。
時間が解決してくれるかもしれない。
でも待つには、時間がかかりすぎる。
他人を変えることは難しい。
でも自分が変われば、他人は変わるかもしれない。
そんな自分が変われば、他人は変わるかもしれないの一例として、汗をかくことを紹介した。
やるやらないはもちろん個人の判断と責任で。