「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」これはインドのことわざらしい。
インドでは
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2019年5月12日
「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」
と教えるそうです。
伊坂幸太郎さんの終末のフールを思い出します。https://t.co/Uc4ie8Nilw https://t.co/s2aQ0c4n47
「他人様に迷惑をかけるな!」と叱られることの多い日本とは考え方が違うんだなぁと思う。
そもそも人は一人で生きていくことはできない。自分のことは自分でするという意識は大事だと思うけど、全部を自分独りでできていると思うのは間違いだ。
人間は社会というシステムの中で生きている。
仕事だって、住むとこだって、服だって、食べ物だって、水道だって、電気だって、僕たちは誰かに支えられている。
その支えてくれる人がいないと、僕たちは生きてはいけない。
僕は障害のある人と日常的に関わっているので、障がい者の「自立」という言葉によく出会う。
でも本当に自分のことを自分でするという意味で自立できている人なんているんだろうか。障がいの有る無しに関わらず。
「自立とは、依存しないことではなく、社会の中に依存先を増やすこと」という言葉がある。 脳性まひの障がいを持ちながら小児科医である熊谷晋一郎さんの言葉らしい。
全てを自分でできる必要はない。
必要だけど、できないことや苦手なこと、大変なことは誰かに助けてもらったり、道具やサービスを利用すればいいのだ。
そして依存先は多いほどいい。
家族にしか助けてもらえないなら、家族がいなくなったときに助けを求めることができないし、家族にあまり強く言うことができなくなってしまう。
職場の人、友人、ボランティア、ヘルパー、頼る先をどんどん開拓していけばいい。
この「自立とは…」の言葉は、障がいのある方の文脈で使われることが多い。
障がい者と比較すると、一見、健常者と言われる障がいのない人の方がなんでも自分でやっているように思われる。でも本当に全てを独りでできているのだろうか。仕事を振る、頼む、お金を払ってサービスを購入するなんてカタチで依存していないのか。むしろ、そういう人の方が実に細やかに多様な相手に依存しているのではないか。
言い換えれば、他人に迷惑をかけながらでないと僕たちは生きていかざるを得ないのだ。
だからその分、誰かに迷惑をかけられても、「仕方ないなぁ。まぁ自分も迷惑かけてるしな」と思うくらいがいいんじゃないかな。
だから僕はインド式に「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」で生きていこうかなぁと思う。
最後に大好きな伊坂幸太郎さんの終末のフールからの引用
「こんな娘を許してください」と挨拶をすると、父と母は愉快げに顔を見合わせて、「かわりに、おまえもいつか、誰かを許してあげなさい」と言った。
僕もいつか誰かを許してあげないと。
だってたくさん許されてきたんだから。