メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

何かをやめるということは、何かをはじめるということだ

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「何かをやめるということは、何かをはじめるということだ」というツイートから思った話。

 

僕たちには当たり前のように、普通にやっていることがたくさんあると思う。

仕事も、学校も、宿題も、家事も、友達づきあいも。

 

でも、人間にはそれぞれキャパシティがある。

時間的にも、肉体的にも、精神的にも、能力的にも。

 

だから当たり前のことを全部やっていくと、いつか限界がくる。なんでも全てをやることは、少なくとも僕にはできない。

となると、『何を優先するのか』を選ばないといけない。

でも、その優先する大事なことのために、当たり前のことをやめるという発想をなかなか持てない。

 

 

昔ネットで見た話を思い出したので引用する。

 

ある大学でこんな授業があったという。  

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。 

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。 

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。 

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。 

そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。 

そしてもう一度聞いた。 

「この壺は満杯か?」学生は答えられない。 

一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。 

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。 

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 

「この壺はこれでいっぱいになったか?」 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。 

教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。 

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」 

一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 

 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」「それは違う」と教授は言った。 

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」 

君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。 

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。 

ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。 

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。 

もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 

君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。 

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。 

 

自分にとっての大きな岩、一番大事なものってなんだろう。いつの間にか、砂利や砂、水といったみんなやっていて当たり前なもの、日常の業務で自分の壺が一杯になってはいないだろうか。

いろんな何かをやめることで、大きな岩を入れる余地が、新しい何かがはじめられるかもしれない。その前に、何が大きな岩なのかを考えないといけないけれど。

 

僕たちは大事なもののために、当たり前のことであってもやめる勇気も持つべきだ。

大体、自分の生き方を自分で自由に選べる今の時代なのに、普通や世間、当たり前、常識なんかに縛られる必要はないとは思うんだけども。