メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

「地図をもって支援しよう」

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僕が関わる視覚障がいに限らず、特別支援教育では現在の子どもに寄り添った支援や指導が不可欠なのは言うまでもない。でも、現在のその子や現在自分が関わっている学校、学部、学年のことだけを見ていていいのだろうか。

 

子どもを大きな海を航海している船に例えてみる。僕たちは一定の期間はその子に関われる。でも学校を出た先で航海を続けていくのはその子自身だ。だから、僕たちがなにか支援をしてあげて航海できるのではなく、その子が自分で航海していく力を身につけることが求められるのだ。

航海していくために必要なコンパスや望遠鏡、航海日誌のような便利な道具の使い方、航海するために必要なスキルを伝え、本人が必要に応じて使えるように支援していくのも僕たちの大事な仕事だ。

 

もちろん子どもによってゴールは異なるし、自分ひとりですること、環境や道具を工夫してできること、手伝ってもらうこと、やってもらうことはそれぞれの子で判断する必要があるだろう。

 


そのためには、現在の子どものいる場所、家庭や学校、あるいは放課後等児童デイだけでなく、卒業して社会に出て航海していくためになにが必要なのか、『進路』についてを知っておかないといけない。卒業後の進路を意識するのは高等部だけではない。中学部、小学部、あるいは幼稚部でも、進路という地図を知っているかどうかで関わり方は違ってくるはずだ。先で求められる力とその子のゴールをイメージしておき、そこからある程度逆算しておく必要がある(もちろん子どもが先でどのくらい伸びたら変わったりするのかは未知数だけれども)。

 


もう一つの地図は『幼児期の発達』だ。幼児期の発達と聞くと小さい子どもだけと思われるかもしれないが、そうではない。いわゆる発達障がいや知的障がいと言われる子たちも、おおむね同じ発達の道筋をたどって成長していく。つまり、幼児期の発達という地図を持っていれば、現在の子どもがどの段階にいて、次の課題が何なのかがよくわかるということだ。そして発達の道筋をたどっていくことが遠回りのようで近道になることが、往々にしてある。

設定した子どもの課題や目標が達成できない原因の大半は、子どもの実態より課題や目標が難しすぎることだ。

例えば漢字が書けないのをその子の努力不足にしてひたすら漢字ドリルを書かせたりしていないだろうか。

本当に今のその子の実態にあった課題なのか、考えてみる必要があるだろう。

 


少し厳しい言い方になるかもしれないが、進路と発達の道すじという2つの地図を持たずに支援するということは、ある意味では行き当たりばったりの支援をしているということになりかねない。

 


もちろん、地図ばかりみて子どもをおろそかにするのは本末転倒だ。

進路のことを意識しすぎて、子どもに合わない課題に取り組ませたり、厳しくしすぎて子どもがしんどくなったり、心が折れてしまっては意味がない。

 

 

地図と現在の子ども、どちらも大事。当たり前のことだけど、子どもは一人ひとり違うし、ゴールもそれぞれ異なる。

でも地図を知った上で関わると、関わるときや支援するとき、何を優先するべきなのか、今の関わりがこの先にどう繋がっていくのかを考えるようになる。

 

将来に必要なことはたくさんある。本当にたくさんある。

職場での仕事を集中して続けること、自己理解、報告連絡や援助依頼、雑談、敬語、相談や断るなどの多岐にわたるコミュニケーションスキル、体調管理、移動、金銭管理、性、福祉制度、家事、余暇活動、感情コントロール、ストレス発散などなど挙げていけばきりがなく、それぞれに細かで具体的な知識やスキルが求められる。

そして障害のある子たちは、それらのことを意識して学んだり訓練しないと身につけないままに成長してしまうことが多い。

進路が目の前に見えてくる高等部の3年間だけで全てを身につけるのは難しいし、また全てを3年間で身につけようとするとしんどくなってしまう。

だからこそ、子どもに関わる全ての人が地図をもって早い段階から支援することが必要なんだと思う。(もちろん全てを身につけることではなく、取捨選択することも支援の1つだ)

 

自分は幸いに支援学校の高等部で進路に携わることができ、地図の大切さに気づくことができた。(同時に進路ばかりみて子どもがしんどくなってしまう危険さも学ばされた)

 

ということで、地図をもって支援することの大切さについての話でした。またちょこちょこ発信できればと思います。