メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

社会科についての話その2 考え方の枠組みを学ぶ

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社会科についての話の続き。

 

先日『社会科授業のユニバーサルデザイン(村田辰明)』という本に出会った。

社会科授業のユニバーサルデザイン (授業のUD Books)

社会科授業のユニバーサルデザイン (授業のUD Books)

 

 

その中で一番いいなと思ったのは、「社会科は考え方の枠組みを学ぶ教科」という内容。

例えば、コンビニやスーパーの学習をするとき、棚の商品配置を調べてみると、下の棚には子ども向けのお菓子、真ん中の大人が商品を手に取りやすい「ゴールデンライン」には売りたい商品を並べる、おにぎりの隣にお茶を置くなどいろいろな「具体的な」工夫が発見できます。そこで、終わるのではなく、「なんで」を追求していくと、お店が商品を売るためにしている、「お客さんの目線を考える」や「人間の習性や心理を活用する」という考え方の枠組みをを学ぶことができます。このようにして学んだ考え方の枠組みは、スーパーやコンビニ以外でもいろいろな応用ができる。

 

奈良時代聖武天皇が各地に国分寺国分尼寺を建設し、莫大な費用と労力と時間をかけて東大寺の大仏を造立したのはなぜか。「仏教の力で世の中を平和にし、疫病を抑えようとしたから」という答えからは、「ひとは危機に陥ると宗教に頼る」という考え方の枠組みをが得られる。「昔の人は仏様が助けてくれると思うなんて馬鹿だなぁ」と思うかもしれない。でも科学が発展した現代に生きる僕たちも、出産前には安産祈願に行って腹帯を巻き、書いてある男や女の文字に一喜一憂する。出産直前まで安産守りを後生大事に持つ。受験前は皆、合格祈願をするし、引いたおみくじが凶だと嫌な予感がする。試験後には結果は変わらないと頭ではわかっていても、「どうか神様、お願いします」と神頼みをする。「ひとは危機に陥ると宗教に頼る」のは現代にも通じる人間の習性なのかもしれない。

 

世界史を学習しているとお家芸のように繰り返される中国の、異民族の侵入→国防費の増大や皇帝の散財→財政の悪化→増税に次ぐ増税→農民の反乱→国家滅亡のサイクルからも、「増税(あるいは搾取や格差の増大)も度が過ぎればは反乱に繋がる」という考え方の枠組みを学べる。あるいは「どれだけ分かっていても歴史は繰り返す」や「人は歴史を学んでも、自分だけは大丈夫と思う」などの考え方の枠組みもあるかもしれない。

 

そしてこうした考え方の枠組みは応用がきく。というかどんどん応用していくことに価値があるし、応用すれば利益に繋がるかもしれない。学んだその出来事や対象だけで終わってはもったいない。なんだか前田裕二さんの『メモの魔力』みたいな内容になってきましたね。

 

そうなってくると、今までの武器だった言語力だけでなく、思考力も必要になる(教える僕自身が思考する力や考え方の引き出しをたくさん持っていることがもちろん必要だけれども)。そして、学んだ考え方の枠組みをどう生かすかは個別的で主体的な問題になってくる。

このスタイルはまだ自分の中で確立できていないのだけれども、社会科だけでなく、それ以外でも使えるんじゃないかなぁと思ってます。

大体、社会科が嫌われるのってひたすら暗記するとイメージからですよね。社会に出てそこまで役に立たない知識よりも、自分で「なんで」と問いかけて、調べて「具体的な内容・方法・経緯」を知ること、いろいろな考え方の枠組みを見つけて応用することの方が、人生で役に立つたつと思うのに。

そんなことを日々考えながらぼちぼちやってます。