盲学校で働くようになって白杖をつく人に気づくようになった。
そのこと自体は以前から知っていたし、白杖をつく人を見かけたことはあったはずだけど、そんなにすれ違ったという意識はない。
見ていたのに見えていなかったのだろう。
そう、僕たちは見ているけれど、実は何も見えていないということが往々にしてある。
ローマの英雄、ハゲの女たらしこと、ガイウス・ユリウス・カエサルの言葉にこんなものがある(ハゲでもカッコよければモテると言う彼の功績は励みになる)。
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」
初めて見たのは塩野七生さんの『ローマ人の物語』だっただろうか。
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
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正にその通りだ。
盲学校に勤務して視覚障がいと接する中で僕に気づきが生まれ、街中にある白杖を見つけられるようになった。盲導犬もそうだ。
親のお陰で、駅前なんかで倒れている自転車を見かけるとできる範囲で立て直すようになった。
大学生のとき、車椅子の方のガイドヘルパーをしたから、車椅子をよく見つけるようになった。車椅子でエレベーターを探し回ったり、駅員さんの過剰な配慮(もちろん心配してくれてのことなんだけど)に対する大変さにも気づいた。
子どもができてからは、ベビーカーの大変さや子どもが泣きわめいたときの肩身の狭さにも気づいた。マタニティマークを見つけるスピードも速くなった。
こんな気づきを繰り返していけば、高齢者やそれ以外にも、自分がまだ経験していない、見ていない、接したことがない人への気づきや配慮ができるようになるのだろうか。
「愚者は経験に学び、賢人は歴史に学ぶ」とは鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉だ。
まだ僕は経験にしか学べないけれど、この経験の学びが見える現実の範囲を少しずつ広げてくれるのなら、いつか歴史に学ぶ患者のように、経験していない現実を見ることができるようになるのかもしれない。
なるのかな。
なれたらいいな。