メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

自分からの声を少し弱めて、他者の声を素直に受け止めてみる

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忘備録的に、ちょっと心の重荷を軽くしてくれたツイートについて

 

 

以下、引用

質問(他者からの評価と成長)

十代後半の学生です。 私は今までの人生で、「1. 身の丈に合わない評価を受ける」→「2. Imposter Sydromeに苦しむ」→「3. 何とか評価に見合うように努力する」→「4. 成長する」という流れを何度も繰り返してきました。意識的にこうなるようにしていた訳ではなく、主に外的影響でこうなっていました。 自分の今までの人生がこのサイクルだったことを最近自覚したのですが、自覚した今、これを意識的に続けるべきかどうか悩んでいます。 幸い今までは、Step 3 の努力がある程度実って Step 4 に進めていました。しかし、今後 Step 3 で行き詰まった場合、精神的に大変なんじゃないかと不安に思っています。 抽象的な話で申し訳ありません、何かご意見を頂けないでしょうか。

 

あなたがどうせよとは言えないのですが、ふわっとした意見を言わせていただくと「自分からの声を少し弱めて、他者の声を素直に受け止めてみる」練習はお勧めできます。

あなたは十分に自分の状況をとらえていらっしゃるようです。ヤバそうなことが起きるかもと察知しているのでしょう。

他者からの評価を素直に受け止めてみるというのは、そこに合わせて努力するという意味ではなく「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取るという意味です。その評価はあくまでその人の評価に過ぎなくて、そこにもしもあなたが至っていないとしても、あなたの責任ではありませんし、あなたがそこに至らねばならない理屈はどこにもありません。

自分からの声を少し弱めるというのもわかりにくい言い方でしたが、いままでと違う方向に(試しに)行ってみるということです。あなたの内なる声がたとえば「こんな分不相応な評価を受けてしまった!このまま進んだら自分は嘘つきになってしまう!必死にギャップを埋めねば!」といったとしても、「いやいや、そうそう焦りなさんな。潰れてしまっては評価の何もあったもんじゃない。マイペースで着実に行こう」と自分の「声」を押し返してみるのです。

そのようなときに大事になるのは、いろいろ話せる別の人の存在です。あなたが私に書いたような話を雑談まじりに聞いてくれるような人。あれこれ言わずに、あなたの話を聞いてくれる人。そんな大人な人がそばに存在するとなかなかいいのですけれど。

十代後半の学生さんで、周りから評価を受けるということは、普通に考えると、あなたはそれなりに優秀なのだと思いますよ。ですから、あなたの持ち味を、不必要な頑張りや闇雲な努力ですり減らさないようにしてほしいです。丁寧に自分を遇し、優しく大きく自分を育てるのです。

過分な評価を受けたからそれに応えようとすることは、うまく制御できていれば結構なことです。問題はそこに悲壮感が混じったり、より広い視点に欠けたりすることです。

あなたに与えられる評価は、いまのところはあなたのすぐ近くから来るものでしょう。世界はもっと広いし、想像を絶する多様さに満ちています。あなたはそのような世界に出ていくのですから、丁寧に自分を遇し、じっくり自分を育てましょう。

そんなふうに思いました。ご質問ありがとうございました😊

 

他愛のないツイートかもしれない。

でも周りに怯えて、周りからの声や評価に一喜一憂してきた耳の大きなキリンの僕は、この周りからの評価に何度も押し潰されそうになった。他人が評価してくれることが何かの原動力になっていたし、否定的な意見は心に刺さるトゲだった。だから期待のプレッシャーに怯えて、その期待に応えられないことを怖れながら、自分のキャパ以上のことにとっかかってなんとかこなしていた(と僕自身は思っている)。それが自分の成長に繋がった面もあることは自覚しているし、この質問者さんと似たようなところがあるのかもしれない。

困難に直面するたびに「自分の思い描く自分ならこれをするべきなのか」と自問自答していました。

でも回答の中の他人からの評価を受け止めるという内容が、「あ、それでいいんだ」と心に響き、なんだか憑き物が取れたように感じています。

 

自分は自分、他人は他人なんだけれどもね。

さぁ、今日もぼちぼち頑張ろう。