メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

ツーブロックはなぜダメなのか

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僕が働き始めた10年ほど前は校則で髪型のツーブロックが禁止という学校が多かった。今では一定の市民権を得ているツーブロック。当時は不良の髪型というイメージがあり、ツーブロックを認めると、それがそのまま飲酒や喫煙、万引きなどにつながってしまうと考えられたのだろうか。

今では社会人でもツーブロックの人もいるし、そんなに禁止する意味はあったのだろうかとも思う。

さらに20年前になると、僕の中学校ではワックスが禁止だった。今ではワックスなどで髪型を整えない方がどうかという見方もある。

染髪だってそうだ。

学校側はルールや規則で縛ることで何かを変えようとすることは多い。

そんなときに大抵言われるのは「社会に出たら…」というくだり。

でも社会に出たら、学校で禁止されていることが認められない場合もあるけれど、もちろん認められる場合もある。先に出た髪型や髪の色、身だしなみは社会に出ればルールではなくマナーになる場合もある(就業規則等で髪の色指定がある企業もある)。

大事なのは「そのルールがなぜあるのか」「そのルールを破ることにはどんなデメリットがあるのか」を考えて理解した上で、自分で選択することなんじゃないだろうか。

学校では社会に出るためにという文言が横行しながらも、本当の意味で社会に出るために必要な力について突き詰めて考えてこなかったのでは…そんな思いも湧いてくる。

また学校では「平等」という言葉がとても力を持っているが、どこまで平等を突き詰めるのか。かつて平等を目指した旧ソビエトでは、皆同じ服を着なければならなく、どこの服屋でも同じ服しか売っていなかったが、こっそり刺繍を入れてくれる服屋に人が殺到したという話もある。人は平等を訴える一方で、他とは違う特別を求めてしまう生き物なのかもしれない。

禁止されればされるほど、求める心が強くなる。アメリカの禁酒法のように監視しきれなくなるのは明らかだし、そんな力技ができるのは閉鎖的な学校社会の中くらいだ。

 

学校にいる間、力で無理矢理押さえつけて禁止することが、その先の子どもたちにいい影響を及ぼすとは僕には思えない。

厳しい指導と同じで、厳しい人や環境がなくなったときに、大きな反動が返ってくることが多いからだ。それに僕の経験上、厳しい指導が必要という大人は、自身が上の立場から厳しく指導されることを好まない人が多い。

もちろんルールを理解して従うことやルールに違反して厳しく指導される経験は必要だと思う。特に高校なんかの校則は、あらかじめ提示されているものなのだとしたら、入学してから知らなかったと訴えるのは筋違いだ。

ただそれが全てではないと思う。

 

子どもだけでなく、自分も含めた大人も、どうするのが本当にこどものためになるのかを考えるないといけない。

子どもたちにどんなふうになってほしいのか。