本の感想。
『災害がほんとうに襲った時(中井久夫)』を読んで思ったこと。
このコロナ禍の状況もそうだし、東日本大震災のときも自分自身がなにか緊急事態に直面してその判断を求められるということはなかった。
1995年の地震の当時、僕は小学生で、当時のことは未だに家族で話題に出るけれど、もやがかかったようで実感のない記憶だ。確かな記憶として映像で残っているのは、小学校が休みになり、妹と2人でいた家で見ていた燃え盛る炎(そのおかげで長田区という名前を忘れることはない)と、すぐに再開した学校で大きなヒビの入っていたコンクリートの床の2つだ。
2011年の地震の当時、波打つプールを職員室から目にし、先輩教員に言われ、各教室を回りガスの元栓の確認をして回ったのを覚えている。正直に言って、あの当時は、災害が起きたときに何をしないといけないのかを具体的にイメージできていなかった。
この本は1995年の阪神淡路大震災以降のある大学病院精神科の医師(一医師ではなく部長という立場)の記録である。直後の混乱だけでなく、日が経つにつれ消耗していく様子や、時が経ち、震災関係の仕事が「余業」になる様までもがリアルに感じられる。
この本を読んで忘れないでいないといけないと感じたことが3つある。
1つは、無名の人の存在だ。東日本大震災の「フクシマ・フィフティズ」にも言及されているが、阪神淡路大震災直後の医師やナースが不眠不休で立ち向かう姿が描かれる。
いきなり状況の中に一人投げ込まれ真価を発揮する人間が存在しているのである。
自分はそんな一人になれるのか、いや、ならなければいけない。少なくともそのための腹積りはしていなければと思う。学校という場で働く以上、災害時には職場が地域の拠点となるのだ。
以前のブログでも書いたのだけれども、僕は、人は事前に考えてイメージをしておかなければいざというときに動けないものだと思っているからだ。
備えておかないと動けない 事故対応の経験から - メガネくんのブログ
2つ目は、ロジスティックス(兵站)の概念だ。阪神大震災直後から不眠不休で奮闘した医師とナースはインフルエンザに見舞われた。飲まず食わずでも持ち場を放棄しない責任感が支えるものは大きいが、それだけに甘えてはいけない。継続させるためには、交代体制や休養、十分な食事と睡眠が必要だ。
また、肉体的なものだけでなく、精神的なケアも必要だ。よく聞くPTSDは災害直後ではなく、環境が落ち着いてから起こるそうだ。同時に前線に長くは留まれはしない。
これは第一次世界大戦で分かったことであるが、前線の古参下士官つまり戦争のプロが、四、五〇日たつと、突然、武器を投げ捨てて、わざと弾に当たろうとするような行動に出るという。これを戦闘消耗と呼んだ。私は、こうべのとき、このことを念頭において四〇日以内でするべきのとをすべてなしおえるようにデザインし、私自身二月下旬には二四時間こんこんと眠る日をもらった。
摩耗しすぎないために、あらかじめグランドデザインを持っておくことが大切なのだろう(それが容易でないことは想像に難くないのだけれども)。
そして3つ目は、突然、避難民をあずかる羽目になった校長先生と教員たちの精神衛生のくだりで書かれていた内容だ。
やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知acknowledgeされ評価 appreciateされる必要があるのだ。
多分これは、災害のときだけのことではないのだろう。
人が走り続けるために当たり前のことだけれども、それを当たり前にするのは難しいんだろう。
辛いとき、苦しいときこそ、自分への認知や評価だけでなく、他者への認知や評価も忘れないようにしないといけない。
誰しもが誰しもにできる範囲で頑張っているのだ(そうは思えなくなったときに、人は他人を憎悪してしまうのだろう)。
そして、そうならないことを祈るのだけれども、もし身近で災害が起こり、避難するだけでなく、自分が何かに立ち向かう役を担うときのために、この本のことを忘れずにしないといけないなと強く思った。