学校という閉じられた場にいるとルールについていろいろ考える場面がある。
例えば見出しなみ。
髪を染めたりピアスをしたり。
①学校のルールとして決められていることを守らないといけないという意見がある。ルールを守れる力は大事だ。
②卒業後の進路先、就職などの際に選択肢を狭めてしまうという意見がある。確かに仕事によってはどの明るさまで髪を染めていいのか事細かく決められている場合があるし(もちろん決まりのない仕事もある)、茶髪と黒髪なら面接での印象が異なるだろう(だから大抵入試の面接前や就活前にはみんなの髪が黒くなる)。
③一人がルールを破ると他の子が納得できないという意見がある。「自分はルールを守っているのにあいつだけずるい」という声は上がってくるだろう。学校という場では例外はあまり認められない。
④家庭環境によるという意見がある。そもそも髪を染めるという文化のない家庭もあれば、親も兄弟姉妹もガッツリ染めている家庭もある。でも大抵そういった家庭の価値観の違いは受け入れられない。
支援学校、特に義務教育ではない高等部段階では主に①から③の理由で、髪を染めることは認められないし、例外は認められない。
そしてある程度はルールを守ることを強制できてしまう。
例えばある子が誰がみてもわかるレベルで髪を染めてきたとしよう。
多くの場合、教員は髪を染めてはいけないルールがあることや髪を染めることへのデメリット、また他の子への配慮から元の髪色へ戻すことを要求するだろう。
(個人的にはなぜ髪を染めたのかの背景も描いていきたいなと思うのだけど)
そうして学校の中では誰もがルールを守る安全な世界が出来上がる。
でも、実際の社会に出たらどうだろうか?
当然のことだけど、世の中ではルールを守る人ばかりではない。
そして学校のようにルールに違反したからといって必ず注意される訳ではない。むしろ法律違反で逮捕されるような明確なものではなく、注意の対象にならない曖昧なものの方が多い。ルールに違反しているからといって注意すれば自分が被害を受けることもあり得る。
みんながルールを守るのは閉じられた学校という場でのみ通用する価値観なのかもしれない。
では、そんな学校とは違う社会の中に出ていくために必要な力は、本当に従順に言われたルールを守ることだけでいいのだろうか?
僕自身はそうではなく、メリットもデメリットも理解した上で自分でルールを守るかどうかを判断する力、選択し決定する力こそが必要なんじゃないかなと思う。
何が正しくて何が間違っているかなんて実は曖昧なものなのだ。
だからあえてルールを強制せず、ルールについて本人が考える機会を持たせるのもいいのかもしれないなと思う。
もちろん実際は子どもの実態はそれぞれで、そこまで到達できる子もいれば、難しいかもいるのであくまでも理想論なのだけれども。