子どもに対してどう関わるべきなのか。
子どもとはどういう存在なんだろうか。
手厚い関わり方も、放任する関わり方もある。
どちらの方法でも、子どもに関わる人、保護者や教員は基本的に子どものために良かれと思って行動する。
何事も多くは善意からはじまる。その結果を問わずして。
子どものために笑顔で話しかけ、
子どものために必死で叱り、
子どものために好き嫌いを許可し、
子どものために夜中に救急病院に連れて行き、
子どものために家庭学習を強要し、
子どものためにネットやゲームを制限し、
子どものために欲しいものを買ってあげ、
子どものために習い事をさせ、
子どものために家事を教え込み、
子どものために無理矢理歯を磨き、
子どものために仕送りをし、
子どものために欲しいものを買い与え、
子どものために…
子どものために…
いろんな関わり方があるだろう。
でも子どものために手厚く支援することが、本当に子どものためになるかというと、必ずしもそうとは限らない。
厳しい言い方かもしれないが、何かを手伝ったり支援したりということは、その子が自分でやる機会を奪うことだ。
目の見えない子が机の上からカバンを落とす。
そのカバンを拾って渡してあげる。
善意からの行動だ。
でもそれは、その子が「自分で落としたものを探す」機会や「落としたものを自分で探す方法を学習する」機会を奪うことでもある。
もちろん、その子によってゴールはそれぞれ違う。
でも障がいの程度の重い子にも、僕はまず自分で探すことと、その具体的な方法を伝える。もしくは確認しながら一緒に探して取る。もちろん依頼があれば拾って渡す。時には依頼されても、自分で探すよう断ることもある。
探す探さないや依頼するしないの判断は、こちらの考えを伝えることもあるが、基本的には子どもに任せることが多い。
別に子どものことを放任したり、全てを子どもひとりにやらせるような厳しいやり方をしろと言っている訳じゃない。
子どもとの関係性や子ども自身の能力やキャパシティを超えた過度な要求は、いずれ破綻するし、最悪の場合、子どもは追い込まれて自ら死を選ぶかもしれない。
要はバランスの問題なんだろう。
その子との関係性を築きながら、
本人が納得する範囲からはみ出すぎないように、
本人の出来る範囲や伸びる範囲を損ないすぎないように、
過干渉になりすぎないように、
放任しすぎないように、
具体的な方法や工夫を提示する
そのバランス感覚こそが教員としての専門性なんじゃないだろうか。
すごく難しいし、その場で正解はわからない。
正解がわかるのは、10年いや20年以上先になるかもしれない。
善かれと思ったことが、ひどい結果になっているかもしれない。
でも、僕たちは選ばないといけない。
その選択は、子どもが成長する機会を奪うことにも、子どもを追い込みすぎることにもつながることを、どこかで考えておかないといけない。