メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

矛盾するこころ『「こころ」の本質とは何か』

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本の感想。

 

『「こころ」の本質とは何か』という本を読んで思ったこと。

「こころ」の本質とは何か (ちくま新書)

「こころ」の本質とは何か (ちくま新書)

  • 作者:滝川一廣
  • 発売日: 2004/07/06
  • メディア: 新書
 

この本は統合失調症精神遅滞自閉症不登校というそれぞれの面からこころについて捉えてくれる。

それぞれの面から捉えることで、共通する部分、異なる部分が徐々に映し出されてくる。

結局、こころがなにかなんてわからないし、それぞれに違うこころを僕たちは持っているのにもかかわらず、こころは他者や社会とのつながりを求めて同じこころを共有しようとする。

 

個体的でありながら共同的であるとは、深い矛盾をはらみます。私たちのこころはその矛盾からなりたつことを本質としています。その矛盾した本質ゆえにこそ、統合失調症自閉症と呼ばれる精神現象がまれならず(必然的にある頻度で)生じるのでしょう。前者は心のはらむ共同性の解体・ゆらぎ、後者は心が共同性をはらむことのおくれ、として。そこにおいて両者は大きく交差して重なりを見せます。カナーが同じ仲間の障害でないかと考えたのはこの重なりのためでした。そして、最初の論文でカナーはすでに急所を言いあてていたのです。

 

すなわち、統合失調症の人が、彼もその一部をなし、かかわりをもってきた世界から歩み出てしまうことによって問題を解決しようとするのに対して、われわれの子どもたちは、初めは局外者であった世界に、用心深く触手をのばしながら、しだいに歩み入ってゆくのである。(引用者訳)

 

ここにいう「世界」とは人間のもつ関係的な共同性の世界のことですね。「用心深く触手をのばしながら」とは、自閉症の子が徐々にではあれ関係を形成してゆく歩みを的確に表現しています。付け加えるとすれば、カナーは自閉症を念頭に述べていますが、ほんとうは文字どおり「われわれの子どもたち」であり、子どもというものはすべてそうですね。どの子どもも触手を伸ばしながら私たちの差しのべた世界へ、さまざまなあしどりで歩み入ってきます。そうしたなかで、世界に歩み入る足どりがとりわけゆっくりな子を精神科医の間では「自閉症」と呼ぶ約束をしたに過ぎません。

 

今僕にはもうすぐ2歳の男の子と4歳の女の子がいる。

勤務先の支援学校で関わる子たちを見ていると、みんなそれぞれに違うこころを持っているはずなのに、そのたどる歩みには共通点がいくつもあってハッとさせられる。

発達の道筋を文字や言葉だけでなく、直に触れられる貴重な経験を僕はしている。

 

親子でもわからないこころ

親子でも違うこころ

 

でも違っても同じなこころ

自分とは違うはずなのに、その他者や社会にあるこころを求めるこころ

 

不思議であやふやなように思える、捉えられないこころ

 

そんな子どもたちのこころとのつながりを求めて、今日も僕はこころに翻弄させている。