ホモ・デウスの読書中。
人間至上主義のくだりで思ったこと。
人間は神ではなく、人間の経験や感性を第一として考えるようになった。
ということは、選択する理由はその人の感性にある。
何かを選択するべき理由は、実は星の数ほど用意できる。
もちろん、何かを選択すべきでない理由もだ。
僕たちは日々当たり前の中に生きていると思っているが、実は当たり前なんてものは存在しない。
僕たちが存在していると思い込んでいるから、存在しているように思えるだけなのだ。
僕たちが何かを選ぶとき、
家族や友人にすすめられたとき
成功体験から学んだとき
失敗した経験を繰り返したくないとき
何かに憧れるとき
大きな声に従うとき
それぞれに何か妥当な理由があって選択していると思い込んでいるが、そんなことはない。
ただ無数にある中から自分の感性に一番引っかかるものを選び、その理由を後から合理化して自分を納得させているだけだ。
この内容から学ぶべきことは何か。
前から思っていたことだが、「人間は自分が納得したことしか本質的には選択しない」ということだ。
無理矢理やらされるというのはきっかけになっても、そのことを続ける理由にはならない。
やるべき理由もやらなくてもいい理由も探せばいくらでもあるし、創り出すことができる。
本質はその人が納得するかどうかだ。
人よりもできることが嬉しいから
そのものに興味がある、好きだから
好きな人が好きなことだから
褒められたから
やってみると楽しい、気持ちいいから
かけた時間や労力がもったいないから
やめるタイミングを失ってしまったから
できるようになっていく自分が好きだから
信頼するあの人が進めたから
そんなことが本質的な理由になるんだろう。
なら教員として自分が取るべき道はどれだろうか。
先ほども言ったが、無理矢理やらせるのはきっかけにはなっても続けるべき理由にはならない。
信頼関係
楽しむ
成長
この3つがキーポイントになるんじゃないかと思う。
その人が変わるようにこちらが関わるべきかどうかという問題は置いておいて。