お題スロットで出てきたコーヒーから連想することについての話。
コーヒー、ラーメン、カレー
この3つは僕の中で素人が安易に手を出してはいけない代表格だ。
ハマると抜け出せない沼のようなものだ。
マンガと同じだ。
入り口付近で気軽に、カジュアルに楽しむのはいい。だが、覚悟を持たずに深入りするのはおすすめしない。
うちの母親はコーヒーにかぶれている。
そう、まだかぶれているレベルなのだが、コーヒーマシンでは飽き足らず、豆を挽くところからはじめだした。
分不相応(に思える)コーヒーミルやコーヒー用のお湯を注ぐための口の長いヤカンなどを購入して、「うん、美味しくなった」とのたまっている。
豆を選り好みするのも時間の問題かもしれない。
この美味しくなった気がするというのが罠なのだ。
素人目にはわからない細やかな差異が、途方もなく大きいもののように感じられ、その錯覚が名店のコーヒー巡りや良質の器具、そして自分に合った豆探しという深い沼へと続いているのに気づかなくなる。
ラーメンもそうだ。
僕もラーメンが好きだし、それなりに美味しいお店を知っているつもりだけれど、ハマってしまうと恐ろしいことになる。
はじめて食べたときはあんなに美味しく感じた、来来亭や一風堂などのチェーン点では物足りなくなり、食べログで3.5以上の名店を探し漁り、開いた時間を使って新規開拓する。
舌が肥えてくるので、それまでの味では物足りなくなり、さらに美味い店を探し求める。無論、お金に糸目はつけなくなる。もちろん長時間並んで待つのもいとわない。
みんな違ってみんないいはずなのに、「ここのラーメンが一番」「いや俺はここが」などとどこのラーメンが一番かの諍いがはじまる。あんなに美味しく感じた来来亭の名前をその場で言おうものなら鼻で笑われ、もうそのラーメン談義に呼ばれることはなくなる。
職場にいるラーメン博士と呼ばれる先輩(健康のためスープは残す派)は、地名を言えばそこの美味しいラーメン店を2、3店ピックアップしてくれるし、ジャンルを言えばそのジャンルの名店を教えてくれる。
結婚して子どももいる先輩は、独身時代のように自由にラーメンを食べられないと嘆きながら、出張があるごとにその地域の新規開拓に努め、また成長した我が子を連れてラーメンを食べに行く機会を淡々と狙っている。さらには自作もはじめた、まだスープとチャーシュー(もちろんレアチャーシュー)だけで、麺にはまだ手を出していないそうだが…。
カレーもそうだ。
職場にいたカレー好きな先輩は、カレーを食べたいけれどカロリーが気になる葛藤に悩んでいた。
そうして市販のルーではなく、小麦粉を使わずに自分でスパイスを調合するというカレーの沼へと進んでいった。
休日はカレー巡りに明け暮れ、様々なスパイスを試す日々。
先輩に教えてもらった玉ねぎを焦がさずにアメ色まで炒める方法(焦げる直前にお湯を入れる)や隠し味(味噌を入れる)は、ミスター味っ子のインスタントコーヒー以上に我が家で活用されている。
先輩のつくるカレーは素人レベルではなく、職場の多くが先輩のつくるカレーの虜になった。
そんなカレー好きな先輩は、カレー店巡りを続けているうちに店主と仲良くなり、フェスなどのイベントでお手伝いをするまでになった。
立派な沼の住人になられたのだ。
そして、コーヒー、ラーメン、カレーの3つは非常に親和性が高い。ちょっとかじる人は、それぞれに一家言を持っているだろうし、ちょっと手を出すつもりが、ズブズブと沼の深みの方へ進んでしまう。
コンビニや書店で並んでいる雑誌の表紙を思い返してみて欲しい。飲食系の雑誌でないのに、コーヒー、ラーメン、カレーの3つの特集の多さに気づくだろう。
この3つはちょっとお洒落な雰囲気があり、名店を知っていたり、自分でチャレンジしていたりすると、その道の通ぶれるものなのだ。
業界側もそれをわかっていて、特集を組むのだ。そして関心のある層は一定数いる。
ここまで書いてきたのは、コーヒー、ラーメン、カレーにハマるのが良いとか悪いとかそういう話ではない。
伝えたいのは、その道は実は深い底無し沼に続いていて、安易な覚悟で手を出さない方がいい、手を出すなら覚悟を持った方がいいですよということなのだ。
理解した上で趣味やライフワークとするなら、これほど楽しいこともないだろう。
そんなコーヒー、ラーメン、カレーについての話でした。