壁の話。
あなたは壁にぶつかったときにどうするのか?
「頑張る」「努力する」といった力技で真正面から挑む?
壁を乗り越えるために頑張るのは大変だから逃げ出す?別の道を探す?
自分の力だけでは難しそうだから周りの力を借りる?
解決するためのアイデアや工夫を考えてみる?
僕たちの中には努力神話や雑草魂、成功者の言葉みたいな見えない信仰があって、「努力して壁を乗り越えて成功した」みたいなアスリートや起業家、芸能人のサクセスストーリーに無条件で憧れを抱いてしまいそうになる。
でも、身も蓋もない話だがその成功の裏側のドロドロした部分は無意識にシャットダウンされてしまっている。
イチローの幼少期からの父子のトレーニングの逸話は有名だが、その陰でプロになれず、甲子園にも出れず、散っていった選手は文字通り山とある。
プロ野球選手になってからも必ず安泰とはいえない。成績不振や怪我による負傷によって年俸は沈むし、いつまでもプロを続けられる訳ではない。
引退してからのセカンドキャリアを上手く築けない人もいる。大抵は引退してからの人生のほうが期間は長いのだ。
スポーツではトレーニング量だけでなく、身体的な才能の影響が大きい。
それ以外にも、勉強して有名大学、有名企業に入ったとか、ベンチャー起業して大成功したとか、スカウトされて有名芸能人になったとか、SNSでインフルエンサーになったとか、いろんな成功体験談があるのだけれども。
その人の才能や家庭環境、運、タイミングいろんな要素が絡んでいる。
その影には、涙を飲んだ「銀メダリスト」以下がたくさんいるのだ。
そして、成功したことイコール幸せとは限らない。多くを手にした者は、今度は失う恐怖、忘れられる怖さ、過去の栄光に追われることになってしまう。
なんてある意味での壁を乗り越えた成功に対していろいろと考えてしまうのだが、ここで考えるのは「成功した彼らはなぜ壁に抗う、前に進むことを選んだのだろうか」ということだ。
高ければ高い壁の方が
登ったとき気持ちいいもんな
そう、高い壁、立ち塞がる困難を乗り越えられた経験は何事にも変えられない自信と宝物になる。
そして世の中には高い壁に見えて「やってみたら意外となんとかなること」も多い。
そこで「やってみる」と「やらない」を分けるものはなんなのか。
前のブログにも書いた『「けテぶれ」授業革命!(葛原祥太)』を読んで思うのは、失敗を含めた試行錯誤の繰り返しを、通して小さな成功体験を積んでいくことだ。
僕自身は比較的いろんなことにチャレンジし、コツコツ取り組むのが好きなのだけれども、その原点にあるのは幼い頃に一人で何時間も夢中になって遊んだレゴの記憶だ。
友だちの家のように豊富にお城や武器のパーツがあるわけではない。
なのでアイスの棒や竹串を小刀で削りながら作ったお手製の武器を持たせ、来る日も来る日も自分のストーリーを描いていた。
本を読むのが好きで、本を読んで得た言葉や知識をどんどん試し、それを周りの大人から評価された。
きっとそういう小さな試行錯誤と成功体験の積み重ねが、どこかで分水嶺になるのかもしれない。
壁を登った気持ちよさを知らない人は、壁に登ろうと思わないのだ。
そういう意味で、何事も自分でやってみて、トライ&エラーを繰り返す経験って大事なんだなぁと思いつつ、わが子に関しては過保護になってしまう自分を振り返るのであった。