メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

冷静にバランスを取る立場は、圧倒的な感情の激流に抗えるのか

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バランスについての話。

僕自身は中間管理職時代の影響から、誹謗中傷があるとさりげなくフォローをしたり、ポップな笑いに変えて話したりする癖がついてしまった。

バランスを取ってしまう習性 - メガネくんのブログ

最近は中間管理職的ポジションからちょっと離れているので、そのバランスをとってしまう修正は少しなりを潜めているが、管理者を無駄に擁護してしまうのは相変わらずである。

 

そんなバランスについてだが、

 

バランスをとってみんなで決めたものがいいとは限らない。

知恵の結晶である可能性も妥協の産物である可能性も等しくある。いや、経験上は後者の方が多い。

「中庸は現実の前には無力」なんて言葉を思い出す。

コロナ禍での圧倒的な速攻性を見せた中国共産党の独裁体制と話し合いが遅々として進まない民主主義の差がそれを表している(だからといって独裁の全てを肯定するつもりは毛頭ないのだけれども)

 

 

でも日本ではバランスを取ること、みんなで決めることに重きが置かれがちだ。

 

それは聖徳太子憲法十七条で第一条に記した

「和をもって貴しとなし…」の一文に始まるのかもしれないし(考えてみればみんなで決めたことが正しいなんてかなり偏った考え方だ、赤信号みんなで渡れば人間の不合理さを知るとよりそう思ってしまう)。

「和をもって貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、また達れる者は少なし。或いは君父に順ず、乍隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」

 

和を尊重し、争わないことを宗旨(主義)としろ。人は皆、党派を作るし、(物事の)熟達者は(常に)少ない。そのため君主や父親に従わなかったり、近隣と考えが相違したりもする。しかし、上の者も和やかに、下の者も睦まじく、物事を議論して内容を整えていけば、自然と物事の道理に適うようになるし、何事も成し遂げられるようになる。

 

日本のムラ社会特有のあり方の成果かもしれない(みんなが協力しないと農業できないし…)。

 

日本人は織田信長みたいなカリスマリーダーに憧れを抱いて行き詰まった現状を打破してもらうことを夢見るみたいな風潮があるけれど、実際に信長が上司なら不平不満が山ほど出てくるだろうし(成果に対してはある意味平等な感じもなきにしもあらずだけれども…あれだけ裏切られてるしね)、結果、みんなほどほどに締め付けられて平等に不平等な家康の建てた江戸幕府が続いたよなぁなんて考えてしまう(もちろ?江戸幕府が続いたのは対外的な影響も大きいのだけれども)。

 

ただバランスを取るための民主主義というシステムも、多数決による仕組みと、自分たちが正義という側に立っているという認識からくる処罰感情の充足が組み合わさると暴走してしまいかねない。

 

浦沢直樹の『プルートゥ』で、地球上のすべての人格をインストールされ、その数の多さ故に意見の一致ができず昏睡状態だったプルートゥに、怒りや悲しみ、憎しみといった強い負の感情を挿入して、激情に全ての人を同調させることで目覚めさせるシーンを思い出す。

 

フランス革命アメリカ独立戦争第二次世界大戦での全体主義など、圧倒的な感情の流れが歴史を大きく動かしてきた。

バランスを取る立場は、そのような激流の前では無力なのかもしれない。

 

でも、それでも、知恵と工夫で乗り切る手段を探すことを忘れずにいたいと思う。

いつかどこかでクラレッタのスカートを直すために。