久しぶりにコーラを飲んだ話。
今日は無駄にブログを書いている。
前にもブログで書いたのだけれども、炭酸飲料を飲み過ぎて甘味を感じなくなっている自分に気付き、炭酸をしばらく絶って久しぶりにコカ・コーラを飲んだらめちゃめちゃ美味かった。
今日は両親や妹家族と集まるイベントがあったので、今日飲むために2週間程炭酸飲料断ちをしていた。
我慢して溜め込んだモノを解放する。
その解放感は半端ない。
面白いモノで、最初は健康のために炭酸飲料を絶っていたのに、我慢して我慢した状態で最高に美味しいコカ・コーラを飲むことが目的になりつつある。
炭酸飲料を絶っているのに、毎日アイスやお菓子を食べているのがその証拠だ。
手段が目的にすり替わってしまっている。
妻からは「千鳥のガマン飯みたい・・・」という微妙なコメントを頂いているが、このガマン飯ならぬガマンコーラにちょっとハマりつつある自分がいる。
考えれば大学受験も合格することが目的で勉強はそのための手段だったはずなのに、いつしか電車の中で山川出版の『書き込み教科書』を読み、塾の講義で学んだことや過去問、模試などの問題で得た知識を書き込み、それをまた読むことが目的になっていた。
日本史Bをやり込んでも上がる点数は僅か、というか数点の失点を防げるかどうかくらいで、センター試験当日に爆死した数学に少しでも時間を割いた方がどう考えても合理的だったのにも関わらずだ。
お陰で大概の問題を見ると、「あ、これは書き込み教科書のあのページに載っていたな」なんで思い出したし、時間が無駄に余って日本史Aの問題も解いていた。
ラーメンを純粋に好きで食べていたはずが、いつの間にか自分の舌ではなく他人の情報に行く店を左右されるようになる。
好きで描いていた絵が、いつしか評価されるために他人にウケる絵を描くようになる。
善意からボランティアをしていたはずが、いつしか感謝されるためにボランティア活動をするようになる。
人間には思いもよらない深層心理があって、そのせいでいつの間にか手段と目的がすり替わってしまうことがある。
僕は試されている。
純粋にコカ・コーラを愛しているのか
それとも
我慢して我慢してコカ・コーラを飲むというシチュエーションのためにコカ・コーラを道具にしているのか
僕は試されている。