本の話。
「ファンベース(佐藤 尚之)」 という本の感想。
商品や企業の売り上げを見てみると、少数のファンとコアファンが売上の大半を占めている例が多いという。
話題になったTVのCMも、SNSのバズった投稿も、すごいのは最大瞬間風速だけで、すぐに情報過多の海の藻屑として消えていってしまう。
そうではない、その商品を、その企業を支持し、愛して、書い続けてくれるファンを大事にすることが、これからの世の中に必要なのだということが伝えられ、そのための具体例がたくさん掲載されている。
読んでいて大学時代に受けた「法哲学」の授業を思い出した。
教授はこう話を進める。
「例えば、みなさんの筆箱の中にあるこの何の変哲もないMONO消ゴム。これが特別な存在になるためには何が必要なのでしょうか。まず名前をつけてみましょうか。仮にMONO太郎とします。このMONO太郎はいつもあなたと一緒に過ごしてきました。予備校の授業も、センター試験も二次試験も一緒に乗り越え、大学に入ってからも一緒になりました。消しゴムを忘れた隣の席の女の子にMONO太郎を貸したのが、付き合うきっかけにもなりました。ある日、筆箱の中にMONO太郎がいません。あなたは戸惑います、友だちは『消ゴムなんてなんでも一緒じゃないか、なんなら新しいMONO消ゴムを買ってやるよ』と言いますが、あなたは新しいMONO消ゴムには何も感じません。初めて手にしたときは同じだったはずなのに…なにがこの2つのMONO消ゴムをわけたのでしょうか」
と、ここら名前や歴史(エピソード)の話に移るのだが、ファンベースの数々のエピソードはこれを彷彿とさせる。
大多数の人にとってはありふれたモノでも、思い入れやエピソードがあれば、特別な、唯一無二のモノになり得る。
そしてファンになってもらえたら、長くファンでい続けてもらうために、よりコアなファンになって、そのモノのアンバサダーになって友だちへ紹介していってもらうために、へりくだるのではなくいい意味で身内として接し、ファンとしての目線を学ぶのだ。
僕はモノや企業をブランディングする立場にはないが、僕の日々の言動の積み重ねが、僕と言う個人のファンを増やしたり減らしたり、勤務先の評判を高めたり貶めたりしているんだろう。別にファンを増やすために働いている訳ではないけれど、このファンベースのあり方は学ぶところが多かった。
僕が思う僕の強みではなく、周りの人が思う僕の魅力はなにだろうか。
そんなことが気になった。