昔、ジャンプに「花さか天使テンテンくん」という漫画があった。筆者は幕張でディスられまくっていた小栗かずまたさんだ。
漫画はほのぼのした雰囲気で進んでいくが、キーワードになるのが才能の種、サイダネだ。人には誰にも何かのサイダネがあり、天使がじょうろで水やりすることで才能が開花すらという設定だ(ちなみに主人公はこの天使とサイダネをさずからなかった少年の2人である)。
職場で取り組んでいる、子どもたちがお互いのことをもっと知るための自己紹介カードの選択肢の1つ、特技を眺めているときに、ふと、このサイダネのことが浮かんできた。
自分のサイダネはあるのだろうか?
あるとしたらなんなのだろうか?
いくつか思い当たることもある。
マッサージが上手なこと、みかんの皮を剥くのが上手なこと、いつでもどこでも胃の中に何か入っていれば吐けることの3つだ。
マッサージが上手は特に習ったわけではなく(もしかすると昔から足裏などを揉んでくれた祖父のお陰かもしれない)、自分が接骨院でマッサージを受けているうちにコツをつかんだ。なかなかに自信があったのだが、盲学校というプロ集団の中に放り込まれてから、自分から言うことは無くなった(一応プロからも学生2年目くらいの実力はあるとのお墨付きは得ているが)。
みかんの皮は、まずもみもみしてからむく。そうすることで、皮が外れやすくなるし、酸味が甘味に変わる…多少ではあるが。よくリンゴの皮むきのようにみかんの皮をむいては、子どもの目をキラキラさせる?こともできるが、それだけだ。
いつでも吐けるというのは学生時代から僕の身を守ってくれた(もちろん沢山の失敗の産物だ)。僕は体質的にアルコールに弱いのだけれど、この才能のお陰で数多の飲み会を乗り切ってきた。顔はすぐに真っ赤になるが、トイレへ行きリセットする、それでもダメなときは水を飲んで数回ジャンプしてから、もう一度胃の中のアルコール分をリセットする(これ胃洗浄と呼ばれる)。こうすることで、最も早く顔を赤らめていた僕が、最後まで生き残り、介抱や片付けをするというのは皮肉なものだ。
そう言えば他にもあった。
本も漫画も読むのが比較的早いし(漫画なら急げば1冊10分はかからない)、漫画の場面をだいたい覚えている(この記憶力がもっと別のものに働けば…と何度思ったことか)、フロアバレーボールの前衛をしていて、聴覚情報を統合するのが比較的得意な気もする。
もちろんどれも万人に一人といった才能ではない。
村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』という小説にあったように、神様は僕たちが望むものを与えてくれるとは限らない。小説の主人公は野球のフライをキャッチできることを望んだが、得られたのは別のものだった。(ちなみに僕のお勧めは『糖蜜パイ』だ)。
でも、それがどんなものであれ、僕たちは自分の持つ、あるいは後天的に身につけたモノでやりくりしていくしかないのだ。
配られたカードで勝負するしかない。
たとえそれが、マッサージとミカンとゲロだとしても。
でもまぁそんな半端な才能の塊の大したことのない自分が、今はそんな嫌いではないのだけれども。