メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

文字と画像と映像の違い

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僕は本が好きだ。

というか文字が好きなんだろう。

通勤中などにスマホの電源が切れ、読む本がなくなると、無意識に車内広告の文字を追っている。軽度の活字中毒というのだろうか。

反対に動画はあまり好んで見ない。アニメより漫画派だ。

動画よりも本や漫画を好むのは、多分、自分のペースで読み進められないからだろう。そして、動画だと自分の想像の余地がかなり制限されてしまう。

 

視覚は人間の情報の8〜9割を占めているという。そして視覚情報は、ダイレクトなイメージとして脳に飛び込んでくる。

それはとてもわかりやすいという利点もあるが、批判的に考えるのが難しいという欠点もある。それぐらい映像の与えるイメージの破壊力は大きい。なので、かの新聞王は、必ず写真を掲載するよう繰り返したという。

 

例えば小説がアニメ化や実写化された場合を考えてみよう。

小説を読んだ各個人の中に、それぞれが想うキャラクターの顔がある。僕の場合は、最初は目や鼻や口が暗くて見えないキャラクターが話し、動いている。それが本を読み進めていくうちに、あるいは繰り返し読むうちに、表情が写り、色が塗られていく。

きっとそんな風にしてつくられるキャラクターは、各個人の頭の中で異なるのだろう。つまり、そこには想像の余地があるということだ。

これが漫画になり、アニメになり、実写映画化されると、自分の想像とのギャップが大きくなり、批判の対象になってしまうのだろう。

逆に、映画やアニメ、漫画から原作小説に入った場合は、最初から表情のついたキャラクターが喋り、動く。そこには想像の余地はない。僕の頭の中のキャラクターは、以前に見た画像や映像に囚われてしまうのだ。

だから僕は映画を見た後に原作小説を見るのをあまり好まない。

 

僕は学校という場で、教えることを仕事にしている。わかりやすく説明するために、視覚支援、画像や映像を活用するし、その効果も知っている。

そして知っているが故に、その欠点についても危惧するところがある。

自分で考えるということをメインに考えた場合、自分が画像や映像化するのではなく、他人が用意し、編集した画像や映像を観ると、そのイメージからは離れられなくなる。

わかりやすく噛み砕いて説明するということは、実は本質から外れてしまうかもしれない。本質的なものは抽象的でわかりにくいので、わかりやすくするために具体的な例えが使われる。

その噛み砕いた説明や例えを聞いてわかった気になってしまう。

自分で考えることが出来なくなる。

見せられた画像が本物とは限らないのに。

見せられた映像は本物の極々一部を切り取っただけのものなのに。

百聞は一見にしかずと言うが、写真の一見と生の体験としての一見では意味合いが違う。

 

視覚は具体的で個別的なものだ。

文字情報はそれよりは抽象的だ。

 

かつて教育実習で塾の講義と同じようにわかりやすくて楽しいを心がけた僕の授業に対して、ある教員は「君の授業は塾の授業だね」と言われた。

当時は反発心しかなかったが、今は自分なりにその言葉の意味を噛みしめている。

 

わかりやすさだけでなく、自分で考える力をつけることを大切にするなら、学ぶツールが変わってくるのかもしれない。