メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

データが語る世界『もっと言ってはいけない』

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『もっと言ってはいけない(橘 玲)』を読んで思ったこと。そのいち。

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

  • 作者:橘玲
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: Kindle
 

 

本によると2013年に実施されたPIAAC(国際成人力調査、16歳から65歳の成人を対象として、社会生活において成人に求められる能力のうち、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルの習熟度を測定するもの)というOECD経済協力開発機構)の調査結果をわかりやすく噛み砕くと、

①日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。

②日本人の3分の1以上が小学校3から4年生の数学的思考力しかない。

③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。

④ 65歳以下の日本の労働力人口のうち3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

となるそうだ。

 

悲惨とも思える結果かもしれないが、それでも日本はこの調査のほぼ全ての分野で1位なのだ。

そしてAIなどテクノロジーの急速な進歩は、労働者が要求される知能(スキル)のハードルをさらに上げていく。

 

 

人は自分の思うようにしか世界を見ることはできない。

『日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない』というデータ(日本語が読めないというのは語弊があって、正しくは日本語の説明の内容を理解して読み取ることができないと言うべきかもしれないが)を突きつけられて納得できないのは、その人がそうでない世界にいたからなのだろう。

人は自分のある環境に、ある意味ではマインドコントロールされていて、その環境が当たり前になってしまう。でも、自分の当たり前は、当然のことながら、どこでも通用するわけではない。実際に地域の学校へ行けば、学んでいる内容を理解していない子や、話を聞かない子、わからないから話を聞く気がない子はたくさんいる。そしてその数が3分の1を越えるのなら、それは切り捨てられるような割合ではない。

本の中では、そのような層とポピュリズムとの関連も書かれていた。

複雑な内容を理解するのが難しいのなら、シンプルで感情にストレートに響くような内容に惹かれるだろう。そうした人たちが、言語力やITスキルといったものを持たないせいで、職や収入などの面で不遇され、知的エリートに搾取されていると考えるならなおさらだ。

僕たち人間の直感はかなり優秀だけれども、常に優秀かと言われるとそうではない。僕たち人間の脳は、狩猟採集時代(それはヒトが狩られる側だった頃も含めて)からの生存と生殖のためにいくつかの仕組みが組み込まれていて、その仕組みゆえに思いもよらぬ過ちを犯しているかもしれない。

なのでデータやデータを積み重ねた研究の意義と必要があるのだろう。

 

そんなデータの語る世界で、自分には何ができるだろうか。

支援教育という分野で、学習や社会スキル、感情のコントロールなどを身につけることが苦手な子たちに関わる僕は、そんな関わりはより多くの子たちに有効ではないかと考える。

最近、授業内容や教室など環境のユニバーサルデザインが広がってきているのはそれが一因かもしれない。

学年相応の教科書の内容を学ぶ前に、その子がつまづいているところまで戻ることもできないだろうか。

教室での一斉授業のあり方にも限界が来ているのかもしれない。支援学校で行われているような、その子の認知特性や好きなこと・興味のあることなどを活かした多様な学び方も選択肢に入れられないだろうか。

また教科の知識だけでなく、読み解き、調べ、学ぶ力(この先の世界では、なんでも調べれば学べる反面、自ら学ばなければ、学びの格差はどんどん広がっていくだろう)や、身の回りのこと、感情のコントロールなどを学ぶ場面も必要ではないだろうか。

 

もちろん、どれも現状の教育システムのままでは難しい。抜本的な改革や改善には時間がかかるのかもしれない。

でも、どれにも支援学校で行われてきた実践やノウハウが活かせるのではないだろうか。そんな風にも考える。

自分がちょっとずつしている #読書支援学校からの発信、微力ながら力になればなぁ。

そんな支援教育が広まることと、そのためにも、目の前の子どもたちのためにも、もっといろんなことを自分が学んでいかないといけないなと思った。