本の感想。
「最初に夜を手ばなした(椿 冬華)」を読んで思ったこと。
「最初に夜を手ばなした(椿 冬華)」読了 #読書
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2020年3月12日
Twitterでもお見かけしていて、絵が印象的で買っちゃいました。作者の椿さんだけでなく、多かれ少なかれ人は時を経るごとに、老いていくごとにいろんなものを手放していく。でもそれまでのやり方でできなくなったからといって全てを諦めなければならない
本の内容からは直接離れる内容が今回のテーマなんだけど、そういえば自分も大人になるにつれ、いろんなもの手ばなしたり失ったりしてきたよなぁと思う。
子どもの頃、あまり外食しなかった我が家だったが、子ども会のソフトボール大会の後で行ったファミレス、フォルクスのサイコロステーキは美味しかったなぁ。初めて食べた王将のチャーハンも美味かった。王将は今でも美味しいんだけど、初めて食べたときのあの感動はもう味わえない。
昔は外食というだけで眼を煌めかせていたはずなのに…。
ファミマのガブ旨ハムカツという分厚いハムカツが大好きだったけど、近所のお肉屋さんで売っている揚げたてのハムカツの方が美味しかった。というか一度アレを食べるともうファミマのハムカツでは満足できなくなる。
肥えた舌というのは厄介だ。
漫画もそうだ。僕は未だに読んでいるけど、子どもの頃の週刊少年ジャンプのページをめくる瞬間のワクワクや友だちの家で初めて読む漫画のドキドキ感にはもうしばらく出会っていない。
ゲームたって時間がないからほとんどしないし、するとしてもリメイクや昔したゲームのやり直しだ。あの途中までしか載っていない攻略本の情報を聞き齧って、怪しげなバグ技(誰が見つけてどうやって広がったんだろう)を試した日々はもう遠い過去だ。ネットの発達のある意味では弊害だろう。
恋だって、あの気になってから好きになるまでの瞬間、好きになってからの「相手は自分のことをどう思っているのか」なんてわからないことに悶々とし、メールの返信に一喜一憂した想いも戻ってこないし、なんだったらそんなにガツガツしなくなった方が余裕があってモテたという経験もあるから、次に生まれ変わったらもうちょっとやり方を考えるんだろうな。
就活で落ちて、自分の存在に絶望したことも(今なら本当にご縁がなかっただけと割り切れるけど)、教員採用試験で出来た感はないのに合格したことも(あればあれで正解だったと今では思える)、仕事で中間管理職になって苦しんだ代わりに妙なバランス感覚が身についてしまって100%で誰かを批判できなくなってしまったことも、そう、大人になるにつれて僕はいろんなものを手離してきた。
子どもの頃は大人はもっと大人だと思っていたけど、なってみたら大人はそんなに大人じゃなかった。
ただ子どもよりも多くを経験して、子どものころに両腕に抱えていたものを手離してきただけなのだ。
これからも僕はいろんなものを手離していくのだろう。
でも、まだ手離さず(この先に手放すということも知らず)、大事に抱えている人に「それ、もうすぐ、手ばなすよ」なんて野暮なことを言う人間にはなりたくないなぁ。
だってそんなことを知っていたらあんなに夢中に、虜になってなかったはずだから。