ラベルでその人を判断しない。
これ、当たり前ですごく大事だけど、つい忘れがちなこと。
「ラベルでその人を判断しない」当たり前ですごく大事だけど、つい忘れがちなこと。
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2020年2月12日
僕たちは日々を効率よく過ごしていくためにいろんなものにラベルを貼ってカテゴライズしている。人にも物にも。そして貼ったラベルでその人のことをわかった気になってしまう。 https://t.co/IuuHdY62b7
僕たちは日々を効率よく過ごしていくためにいろんなものにラベルを貼ってカテゴライズしている。
人にも物にも。
「あの人はわかる人だから」
「この子にはそんなこと言ってもわかんないよ」
「あいつは何やったってすごいなぁ」
「この人は仕事ができない人だ」
「あいつには何やったって無駄だよ」
「彼はこういうタイプの人間だから」
「筋トレなんて無意味だよ」
「筋トレすれば全てが良くなる」
「筋肉だけは裏切らない」
などなど
そして貼ったラベルでその人のことをわかった気になってしまう。
子どものことを学んでいく上で、例えばいろんなタイプの性格の子や障がいのこと、心理のことなんかを学んでいく中で、僕たちはさまざまなカテゴリーの特徴を学んでいく。
それは子どもを理解するためには必要なことなんだけれど、そこには落とし穴がある。
僕たちは日々を効率よくこなしていくために知らず知らずのうちに自分の知識や経験から、人や物をカテゴリーに仕分けし、ラベルを貼って分類してしまうのだ。
当たり前だけど目の前の子どもは、『ADHDのAさん』ではなく、ボルダリングと仮面ライダーゼロワンが好きなAさんだ(このAさんは架空の人物です、念のため)。
ADHDという特性があるからってその面だけがAさんの全てではないし、そもそもADHDにだって大まかにいくつかのタイプがある。
ADHDの人だって、ADHDの特性全てに当てはまるわけではない。
障がいの特性はあっても抱えている特性や困難さの状況はみんながみんな同じではない、というか異なる。
だから個に応じた支援とか個別の教育支援計画、個別の指導計画とかがあるのだし、本人の実態や支援・指導するための具体的な方策を記載していくために、本人のことを知るアセスメントが行われる。
ADHDという診断名が出て終わりではなく、むしろそこからがスタートだ。
そして人は診断の有無で決まるわけではない、当たり前なんだけど、好きな食べ物や動物や歌や国やアニメや人や教科があって、いろんな人との関係性があって、それまでの歴史があってその人がいる。
ADHDというラベルだけで人を判断していると、そう言ったことを忘れてしまいそうになる。
それ以外でもそう、人間はある程度経験が溜まってくるとその経験を基にいろんなことを判断してしまいがちだ。
この子は以前対応したあの子に似ているなと経験を基に気づきを得るのは大事で、だからこの方法が合うかもしれないと考えるのはいいけれど、同時に似ているけど違う可能性も考えておかないと大きな失敗をしてしまうかもしれない。
ラベルだけを見て、その子そのものを見落としているかもしれない。
血液型占い(血液型による性格診断を信奉しているのは日本を含めごく一部だけれど)や国や地域による識別(〇〇人の性格)と似たようなもので、全員に当てはまるものではない。
そもそもブラジル人は9割以上がO型だし、日本人の血液型はバラバラなのでこの2つは矛盾するし。
日本人全員が、周囲から目立た内容に大人しくしていて、礼儀正しくマナーを守って、我慢強く、自分を表現するのが苦手で、非常に温厚で、他国の流行や文化を積極的に受け入れて、完璧主義で、集団行動を重視して、時間や約束を守る訳ではない。
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仮にそういう傾向があったとしても、もちろんそれに当てはまらない人も大勢いる。
そして、「日本人は…」「B型は…」と自分は一括りにされるのを嫌がるのに、「高齢者は…」「男(女)は…」「障がい者は…」「最近の若いやつは…」と他人にラベルを貼って一括りにしてしまう不思議。
ラベルを貼って判断して、他人をわかったように思ってはいけない。
すぐ忘れてしまうけど大事なことだなぁ。