今年でもう35歳。
もうおっさんである(あくまでも個人の感想です)。
若い子とは話が合わなくなってくるし、電車で隣の席に座った小学生には、白黒のゲームボーイでポケモン赤をやっていたことを信じてもらえなかった。
ザ・ジェネレーションギャップ。
しかしTwitterをしているときなどに、ふとあの頃の光り輝く黄金の時代が蘇る瞬間がある。
「目があったらバトルですよね?」
当然、ポケモン赤緑世代の僕には常識中の常識だ。
あの頃は楽しかった。
親に隠れて、布団の中でゲームボーイをしていた記憶。
オレンジの光ではよく見えず、ライトボーイという付属のライトを付けていた。
そして電池の寿命が近くなると薄くなる画面。セーブするかどうか常に判断を強いられた。
ポケモン図鑑完成のために御三家ポケモンを交換するところまで進めてはリセットしたし、個体値や努力値なんて概念はなかったから、ひたすらコイキングを捕まえてはステータスを比較し、タウリンを投与していた(僕の界隈ではなぜタウリンをあんなにも信仰していたのだろうか)。
通信ケーブルでの交換中に、ケーブルを抜いたらポケモンが増えるなどの都市伝説に踊らされたり、コラッタをバグでレベル180とかにして、ミュウに進化させ、ゲーム自体がバグってしまうのもあった。
あの頃は6vメタモンもメガ進化もダイマックスもなかったけれど、ネットの攻略情報もなかったけれど、隅々まで遊び尽くして満足していた気がする。
スーパーゲームボーイ、ゲームボーイアドバンス、そしてプレステと機器の進化の衝撃を最近の子は味わうことはないのかな。
ちょっと悲しい。
ロックマンXを1時間で全クリしたのもいい思い出だし(数年前にやったら5時間くらいかかった笑)、なぜみんなで集まってクロノトリガーやエフエフをやっていた(ほぼ見ているだけ)のかもわからない。
ゲームだけでない。
ドラクエバトル鉛筆はすぐ担任に取り上げられたし、ポケモンカードも没収された(私有財産の扱いとかどうなってたんだろう?通りすがりに叩いてくる教員もいたし、小学生には人権はなかったのかな?)。
カードダス。
カードダス職人みたいなやつがいて、次に出てくるカードの厚み(レアなカラカードはシールになっていたのでちょっと薄くて柔らかいのだ)で、「次はキラやって」とチャレンジャーを鼓舞していたし、その煽りの戦果としてのノーマルカードは何処かに行ってしまった。
ハイパーヨーヨーも流行ったし、デジモン、たまごっち、ねり消しやまとまるくん、など流行っては消えていったものも沢山ある。
モーニング娘。や鈴木あみ、浜崎あゆみ(あの人気は一生続くと思ってました)、GLAY、L'Arc-en-Ciel、ポケットビスケッツなどの歌もそうだ。最近の曲にはついていけないこともある。
所詮過去の過ぎ去った時代の話だ。
思い出になってしまった事は
月日が経つにつれ美化されるから
これからもっと君との出会いを、
素晴らしかったと思うに違いない
(ガガガSP『国道二号線』)
そしてそれには思い出による補正というものがあるんだろうけど、でも、やっぱり、あの頃の思い出が僕にとっての黄金の時代なのだ。
なのでTwitterでそんな時代が読み上げる瞬間があるとついつい反応してしまう。
おっさんホイホイに引っかかってしまう。
でも顔は知らなくてもあの同じ時代を過ごしたひとだというだけで、訳もなくテンションが上がってしまう自分がいるのだ。
知らない人にもついついコメントしてしまう。
同じ世代の人だけがすぐに共有できる思い出がある。
失われた黄金の時代が蘇る瞬間。
その瞬間が……僕を甦らせる。何度でも。