「大人のADHD(岩波明)」 に記載されていたものを忘備録的なものとして。
大人のADHDというタイトルから不注意面での困難さを予想していたけれど、それだけではなかった。
ASDはもちろんのこと、鬱や双極性障がい、統合失調症との重なりの中でADHDと見抜かれないが故の遠回りや別方面からのアプローチによる本人の苦しみがある。
でも正確な診断は難しいんだろうな。ADHDのエピソードとして紹介されていてもASDと思ってしまうものもいくつかあった。
そこに精神的な課題が絡んでくるのだし。
また学力的に問題のない子だとADHDを疑われずに、就職後あるいは管理職になるタイミングで壁にぶつかることが多いという内容にも納得した。
就職してからの些細なミスは些細なミスとして笑って許してもらえないことが大半だ。
学校と会社での求められるハードルの差は大きい。本当に大きい。
もうちょっと変化を緩やかにできないものなのか。
そして掲載されていた、ADHDとASDの行動上の特徴の違いについてがすごく納得(京都大学の十一元三教授の示唆による)
①毎回忘れる、毎日目にして気づかない
日常生活や仕事において、毎日必ずしなければならないことは少なからずある。例えば、出社時に会社でタイムカードを押すことなどがあげられる。ADHDでは、タイムカードの押し忘れは、不注意に起因するものであるが、ASDではその行動が社会的に重要であると言う認識が欠けているために起こる。
②話し出すと止まらない
発達障害の患者では、周囲にかまわず一方的に自分の考えを主張したり、興味のある分野の話ばかりする人がしばしばみられる。ADHDにおいては、これは衝動性の表れであり、思いついた事を言わずにおられないことが原因である。一方、ASDでは、自分が自由勝手に話をしていいのかどうか、状況を認識できていないために起こることが多い。私の担当患者でも、外来の受診時に、自分の好きな80年代のアイドルのエピソードを延々と話し続けるASDの人がいた。
③話が飛ぶ
前項と関連するが、発達障害の人の話の内容は説明不足で、話題が飛ぶことがよくみられる。ADHDにおいては、やはり衝動性の結果起こるものであり、一足飛びに説明しようとするため話が飛躍しやすい。ASDにおいては、話をしている相手が理解しているかどうか考慮しようとしないので、奇異な内容が含まれやすい。
④順番や会話に割り込むこのような他の人に配慮しない行動パターンは、ADHDでもASDでもしばしば見られる。ADHDは内的な衝動性によって、がまんできなかったり、待てなかったりするためである。一方で、ASDにおいては、他者への意識の希薄さから、勝手な行動を取りやすい。つまり他人の存在を十分に認識していないということである。
⑤馴れ馴れしい
発達障害の患者は、対人関係に障害がある一方、他者と必要以上になれなれしかったり、「距離」が近かったりすることがある。ADHDの人は、元来ひとなつっこく、あどけない行動をとることが多い。(けれども、安定した関係を継続することは難しい)。ASDにおいては、社会的な距離間が分からずに、必要以上になれなれしく接することが起こる。
⑥懲りない
発達障害の人は、何度も同様にミスを繰り返すことが多い。ADHDにおいては、不注意の反映であるとともに、目の前の「快刺激」を優先しやすい結果である。ASDにおいては、自らの行動を静止する社会的な必要性を感じていないことが原因である。このような原因で、ASDの人によるストーカー行為が起こることがある。
当たり前のことだけれども、行動の表面的な特徴だけでなく、なぜそれが起きるのかをしっかり分析するのが大事なのだ。
あと同じ課題を抱えるモノ同士の心理教育(サイコエデュケーション)の必要性もチェック。
人が動くきっかけは知識や情報ではなく納得ですから。