メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

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本の感想。

 

ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力(帚木蓬生)』という本を読んだ。

ネガティブ・ケイパビリティ  答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)

 

 

ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のこと、論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐えぬく能力だ。


僕たちは訳のわからないことや、手の下しようがない状況、答えのない状況は我慢できず、無理やり解答を捻り出したり、言葉でラベルを貼ってわかったつもりになりたくなってしまう。

でも、僕たちの生きる人生や世界には、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち溢れているし、むしろそんなことの方が、わかりやすく正解のある状況よりも多い。


僕たちにネガティブ・ケイパビリティは突き詰めてくる。本当にそれでいいのかと。安易に正解を(本能に従っているのかもしれないけれど)決めつけてしまってもいいのかと。


印象に残った内容をいくつか。
精神分析の大御所ビオンの危惧から。

精神分析学には膨大な知見と理論の蓄積があるがあります。若い分析家たちはその学習と理論の応用ばかりにかまけて、目の前の患者との生身の対話をおろそかにしがちです。患者の言葉で自分を豊かにするのではなく、精神分析学の知識で患者を診、理論をあてはめて患者を理解しようとするのです。これは本末転倒です。

記憶も理解も欲望もなくと言ったビオンの指摘は、実に大切なところを突いています。なまじっかの知識を持ち、ある定理を頭にしまい込んで、物事を見ても、見えるのはその範囲内の事のみなので、それ以外に広がりません。

この部分は、障がいの特性を学ぶ自分の姿を思い起こす。

子どもは一人ひとり違うはずなのに、その子の診断名や疾病名から対応を考えていないだろうか。

環境整備は子どもたちのためにあるのであって、これさえしておけば大丈夫と言ったように、子どもを見ずに支援を考えていないだろうか。環境整備に合わせて子どもがいるのではない。


教育でもそうだ。

こうした教育の現場に働いているのは、教える側の思惑です。もっと端的に言えば「欲望」です。教える側が、一定の物差しを用いて教え、生徒を導くのです。物差しが基準ですから、そこから逸したさまざまな事柄は、切り捨てられます。何よりも、教える側が、問題を狭く設定してしまっています。その方が「解答」を手早くを教えられるからです。

しかしここには、何かが決定的に抜け落ちています。世の中には、そう簡単には解決できない問題が満ち満ちていると言う事実が、伝達されていないのです。前述したように、むしろ人が生きていく上では、解決できる問題よりも解決できない問題のほうが、何倍も多いのです。

そこでは教える側も、教えられる側も視野狭窄に陥ってしまっています。無限の可能性を秘めているはずの教育が、ちっぽけなものになっていきます。もう素養とか、たしなみでもなくなってしまいます。この教育の場では、そもそも解決のできない問題など、顔中から消え去っています。いや、たとえ解決できても、即答できないものは、教えの対象にはなりません。

教育者のほうが、教育の先に広がっている無限の可能性を忘れ去っているので、教育される側は、閉塞感ばかりを感じとってしまいがちです。学習の面白さではなく、白々しさばかりを感じて、学びへの興味を失うのです。

学べば学ぶほど、未知の世界が広がっていく。学習すればするほど、その道がどこまでも続いているのがわかる。あれが峠だと思って坂を登りつめても、またその後ろに、もう一つ高い山が見える。そこで登るのをやめてもいいのですが、見たからにはあの峰に辿りついてみたい。それが人の心が常であり、学びの力でしょう。つまり、答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう。

 

僕たちは学校でまるで唯一無二の正解があるかのように学び、教えるが、現実の世界では正解のないことは珍しくはない。

少なくとも大人になり、学ぶなかでわからないことはどんどん増えてきた。

しかし何か奥の方の深いところへ近づいている気はしている(到達できるかどうかはわからないけれど)。

答えを教えることばかりに気を取られて、教育の大切な面を見失ってはいないだろうかと自問自答する。


最後に一番印象的な言葉を紹介。

「お前たちは、他人のゴールには絶対たどり着けない。お前がテープを切れるのはお前のゴールだけだ」

自分のゴールがどこにあるのか。

どんな本にも載っていないし、誰も教えてくれないかもしれない。

でも闇の奥にあるそのゴールは、悩みもがき続けない限りたどり着くことができないゴールでもあるはずだ。

このネガティブ・ケイパビリティという本は、一時期闇の中で悩みもがき苦しんでいた僕に、それでよかったんだと伝えてくれる。

それがおろし切れていなかった重荷を軽くしてくれる。

わからないときはわからないままでいい。

悩んだり苦しくなったっていい。

そう伝えてくれるから、そう思えるから、これからも行先のわからない闇の中を進むことができるのかもしれない。