社長との飲みで盛り上がった話。
みんなが勝手に僕を誤解していくという話にすごく共感した。
曰く、
本当は嫌いな人でも、嫌われたらどうしようと考えてしまう。
なので、八方美人的に、バランスを取るように対応してしまう。
一度関係ができると、たとえ嫌いな人でもその関係が崩れるのが怖くなる。
そうなると、その人との関わり方を変えるわけにはいかなくなる。
当たり障りなく接しているうちに、嫌いな相手や苦手な相手から「この人は自分のことを信頼しているのではないか」と思われる,
一度高評価を得た相手は、本人の都合のいいように解釈してくれるので、何をしても好意的に考えてくれる。
一度はじめると止まらない、負の連鎖が続くのだ。
僕たちは相手に合わせて、ある意味演技をする。それは演技なのに、周りからは本当の僕なんだと思われる。
この現実と内面の乖離に悩みながら、止まらずに演じ続けるのだ。
だからいろんなことを気にしてしまう。
あの選択はそれで本当に良かったのかなとつい気にしてしまう。
不安をあげればキリがない、でも今の仮面を壊すのも本当の自分をさらけ出すのも、怖いし、不安だし、ちっぽけな「人に好かれたい」という虚栄心が許さない。
自信満々でプライドの高い人とは距離を置きたくなる。
その自信はどこからくるのだろうかと思う。
全く完全に良いだけのことなんて多分ないし、反対に全く完全に悪いことも多分ない。
全ての面には、メリットデメリットや、よしわるしがある。
だから自分が正しいことと思うことさえ、場所や相手やタイミングや状況が変われば悪いことにもなり得る。
だからいつも不安に苛まれている。
でも僕にもちんけなプライドがある。
だからなかなか正直に自分を出せない。
不安なことを伝えはするけど、全てをさらけ出すことはしない。
なにが良くてなにが悪いかなんて、結局時間が経ってみないとわからない。
いや、時間が経ってもわかるかどうかあやしい。
でも、僕の人生を生きる僕は、選択しないわけにはいかず、今日も悩みながら正解と思わしいものを選んでいく。
プライドが前に進めと指示を出す。
高校時代の友だちには、「人見知りだけど社交的だね」と言われた。
めんどくさい、難儀な性格なんだ。
でも慕ってくれる人がいる、たまに重荷になるけど信頼してくれる人がいる、だから人見知りだけど社交的という、訳の分からない性格の僕は、嫌になりながら今日も進む。
前球が後ろだかわからないけれど。
こういう人って多いのでしょうか。
まぁ多くてもなかなかほんしょうをさらけださないんだろうな。
じゃあ似た人に会うのは、結構レアな体験だったのかもしれない。