メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

人見知りだけれど社交的

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社長との飲みで盛り上がった話。

 

みんなが勝手に僕を誤解していくという話にすごく共感した。

 

曰く、

本当は嫌いな人でも、嫌われたらどうしようと考えてしまう。

なので、八方美人的に、バランスを取るように対応してしまう。

一度関係ができると、たとえ嫌いな人でもその関係が崩れるのが怖くなる。

そうなると、その人との関わり方を変えるわけにはいかなくなる。

当たり障りなく接しているうちに、嫌いな相手や苦手な相手から「この人は自分のことを信頼しているのではないか」と思われる,

一度高評価を得た相手は、本人の都合のいいように解釈してくれるので、何をしても好意的に考えてくれる。

 

 

一度はじめると止まらない、負の連鎖が続くのだ。

僕たちは相手に合わせて、ある意味演技をする。それは演技なのに、周りからは本当の僕なんだと思われる。

この現実と内面の乖離に悩みながら、止まらずに演じ続けるのだ。

だからいろんなことを気にしてしまう。

あの選択はそれで本当に良かったのかなとつい気にしてしまう。

不安をあげればキリがない、でも今の仮面を壊すのも本当の自分をさらけ出すのも、怖いし、不安だし、ちっぽけな「人に好かれたい」という虚栄心が許さない。

 

 

自信満々でプライドの高い人とは距離を置きたくなる。

その自信はどこからくるのだろうかと思う。

全く完全に良いだけのことなんて多分ないし、反対に全く完全に悪いことも多分ない。

 

全ての面には、メリットデメリットや、よしわるしがある。

だから自分が正しいことと思うことさえ、場所や相手やタイミングや状況が変われば悪いことにもなり得る。

 

だからいつも不安に苛まれている。

でも僕にもちんけなプライドがある。

だからなかなか正直に自分を出せない。

不安なことを伝えはするけど、全てをさらけ出すことはしない。

 

なにが良くてなにが悪いかなんて、結局時間が経ってみないとわからない。

いや、時間が経ってもわかるかどうかあやしい。

でも、僕の人生を生きる僕は、選択しないわけにはいかず、今日も悩みながら正解と思わしいものを選んでいく。

プライドが前に進めと指示を出す。

 

高校時代の友だちには、「人見知りだけど社交的だね」と言われた。

めんどくさい、難儀な性格なんだ。

でも慕ってくれる人がいる、たまに重荷になるけど信頼してくれる人がいる、だから人見知りだけど社交的という、訳の分からない性格の僕は、嫌になりながら今日も進む。

前球が後ろだかわからないけれど。

 

こういう人って多いのでしょうか。

まぁ多くてもなかなかほんしょうをさらけださないんだろうな。

じゃあ似た人に会うのは、結構レアな体験だったのかもしれない。