先日は文化祭の朝だというのに休憩時間について、組合教員と管理職がもめているうちの学校。
間に挟まれる若手のチーフの子がかわいそう。
ある程度のルールやアウトライン、マニュアル、引き継ぎ資料なんかがあった方が、仕事は効率的になる。
うちの学部はそういったものが全然なくて、口頭で説明されたりされなかったりで、新しく来たた人は皆困ってしまう(でも3年もいるとなんとなくわかるようになり、新しく来たときに困っていた気持ちを忘れてしまう、人間そんなものだ)
大半の人が困っていないので、いくらマニュアル作りの必要性を唱えたってピンとこない。
僕たちは何かを見ているようで、実は何も見えていないかもしれない - メガネくんのブログでも書いたけれど、人間は現実の中でも自分の見たいと思うことしか見ない生き物なので、困っていないと感じている人を説得するのはなかなか大変だ。
けれど、うちの人たちは自分がやらないといけないことが増えると不平不満が出てくるが、こちらが勝手にやることにはそこまで不平不満を言わないので、勝手にコツコツとマニュアル作りをやらせてもらっている。
そして出来上がったものや新たにやったものが便利だったり役に立ったら、それはそれで取り入れる。
でも今までの伝統を変えるのは嫌だ。
誰のための卒業式なのか - メガネくんのブログでも述べたベテラン教員の心理である。
彼らにわかってもらって動いてもらうためには汗をかかなければならない。
これは汗をかくことのススメ - メガネくんのブログで書いた。
なんだ過去のブログの話ばかりで恐縮である。
振り返ってみると、自分は職場でベテラン教員に翻弄されているのかもしれない。
職場の若手教員との話で共通して出てくることがある。
子どもと関わりたくてこの世界に進んだのだから、子どものことはもちろん、保護者のことに手を取られるのもまぁ子どものためになるのだから仕方ないと思える。
だけど、大人で溢れる同僚のことで悩んだりしんどい思いをしたりするのは納得できない。
そんな思いだ。
一般校では、仕事量が0.5の人と1.5の人で成り立っているが、支援学校では、仕事量が0の人と2.0の人で成り立っているという言葉も聞いたことがある。
でも大人を変えるのは難しい。
『ムーブ ユア バス』という本についても以前書いたが、要約するとやる気も意欲もない人が変わるように情熱をかけてもコストパフォーマンスが悪すぎるという話だ。
『ムーブ ユア バス』ランナーがいない組織はどうなるのか - メガネくんのブログ
でも公立の学校では一緒に働く教員を選ぶことも、働きや仕事量に応じた賃金にすることも難しい。
うちの学校でも若手教員の方が業務量が多い気がするけど、給与の多い年配で自分から仕事を取りに行く人は残念ながら少ない。
時給換算すると悲しい気分になる若手も多いのではないかな。
なんだか話がそれてしまったけど、この話はここらへんで。