メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

熱中することは悪なのか「読書は良くてゲームはなぜダメなのか?」

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世の中は不公平だ。

勉強はすごく良くて、読書や運動、スポーツは良くて、でもゲームやマンガやダラダラ昼寝するのはダメだ。

何が良くて何が悪いのかは置いておいて、子どもたちはやりたくもないのに、「勉強しろ!」「本を読め!」「身体を動かせ!」と大人に言われる。

自分のしたいことなのに、「ゲームをやりすぎるな!」「マンガより本を読め!」と言われる。

「ゲームは宿題が終わってから」「ゲームは1日2時間まで」「テストで◯点以下だったらゲーム禁止」などの理不尽な条件を突きつけられる。

挙げ句の果てに洗濯物を取りに行くおかんの足がコンセントのコードに引っかかり、いいところでゲームが終わる。失った時間とデータは戻ってこない。

それに対して悪びれないあかん。「またやればいいやん」などと理解のない言葉を浴びせられる。

 

 

僕はファミコンからスーファミに移行する世代で、小学校の頃からゲームにのめり込んだ。

 

パスワードを写し間違えてロードできない後悔を繰り返し、きちんとノートに線を引き、ロックマンのパスワードの丸を記録した。なぜトゲに当たっただけで死ぬのか理解できなかった。

ファミコンドラクエ3では、データの消える理不尽さと、それに対抗するための3つの冒険の書全てにデータをコピーする術を学び、さらに例の音楽が流れ3つの冒険者のデータ全てが消えたときの絶望も覚えている。

ファミコンスーファミは理不尽な操作性や難易度のゲームも多かった。

友だちの父親はFF5の全てのジョブをマスターしていた。

クロノトリガーのラスボス戦を友だちと一緒に体験し、端っこの球が反対という大人のいやらしさも学んだ。

ラスボスだと思っていたムドーがただの魔王で、大魔王がいて、さらに裏ボスがいるなんて…ドラクエのスケールの大きさには驚いた。嫁はもちろんビアンカだ。

桃鉄で地理を学んだ。買い占めや農林物件の大切さを学んだ。特急系カードを使うタイミングも勉強になった。一度ついた差はなかなか埋まらないという真理も学んだ。

ポケモンでは友だちと、ヒトカゲゼニガメフシギダネ全てを序盤で交換する作業を繰り返した。謎の子どものネットワーク経由で伝わったラッタをミュウに進化させるバク技も試した。バグ技でラッタのレベルは180にもなり、大戦が終わるとレベルが100に戻った。結果、ソフト自体がバグってしまった。大体あの頃はゲームボーイだったのだ。スーパーゲームボーイという謎のハードもあった。布団の中でゲームボーイをしていたのがバレて叱られた。

中学に入るとプレステが発売された。FF7のCGは今見ると「なんじゃこりゃ」だが、当時の最先端に鳥肌が立った。

FFTは名作だ。ラスボスよりも赤チョコボが強敵だった。初見殺しのウィーグラフはなんとか倒せた。恐ろしい相手だった。「家畜に神はいない!」などの名言から世の中の不平等さと正しさとは何かという考えも学んだ。歴史に対する今の自分の態度は、あの名作から受け継いでいるのかもしれない。

スパロボで、幸運・努力・必中の重ねがけの効果と、ビルバインの前では確率はただの数字でしかないうことを学んだ。

 

中学時代は毎日鬼のようにある部活の間をぬって夜中にゲームしていた。

親にゲームを禁止されて、隠れて夜中にやっていたらバレた。

叱られコードを取り上げられた。

すぐにゲーム屋へ行き、取り上げられたコードを買った。(あの頃のゲーム屋は今どうなってるんだろう)

また隠れて夜中にゲームをやった。

バレてめちゃくちゃ叱られた。

 

マンガも大好きだった。

高校時代は、月曜日はジャンプとヤングマガジンとスピリッツ、火曜日はプレイボーイ、水曜日はサンデーとマガジン、木曜日はチャンピオンとヤングジャンプ、金曜日はコミックバンチ、そして月刊ジャンプと月刊マガジンを立ち読みしていた。あの頃は立ち読みしているサラリーマンを見て、「あんな大人になりたくない」と思っていたが、今も読む量は減ったがあんな大人のままだ。

後にバイト先になる塾で「7つの海は?」と聞かれ、「北氷洋、南氷洋…」と答えた僕は、先生に「星座は?」と聞かれ、「残念ながら牡牛座(タウロス)です」と答えた。大学時代に働きだしてからは、時給の額によって青銅聖闘士、白銀聖闘士、黄金聖闘士に分けられていることを知った。

大学時代は毎日チャンピオンの刃牙話題で盛り上がった。みんなで立ち読みしていたあのローソンは今はもうない。

大学祭のスラムダンクジョジョのマニアッククイズ大会に参加して、上には上がいることを知った僕は、必死で素数を数え、やがて考えるのをやめた。

 

高校でも大学でもゲームとマンガの話は鉄板だった。共通の話題は初めての人との距離を詰め、名言や名シーンの引用は会話を盛り上げる。レッド・ホット・チリ・ペッパーこと音石明のギターの素材はマホガニーだった。

 

今の仕事でも、ゲームやマンガを使った例えはたくさん使うし、子どものウケもいい。

ゲームやマンガを通して三国志や戦国時代が好きになった子はたくさんいるはずだ。

あれだけゲームやマンガを否定されたのに。

 

 

結局なにが言いたいのかというと、「熱中できる何かがあるのはすごいことだ」ということだ。

親にとっての「良い、悪い」や「やって欲しい、やって欲しくない」では子どもはなかなか動かないし、動いても長続きしないことが多い。その子のやりたいことではないからだ。

なら熱中できるということ、無尽蔵にエネルギーを捧げる何かがあることを貴重なことだと考えよう。

もしやって欲しい何かがあるのなら、やることを強要するのではなく、楽しさを伝えよう。それが遠回りのようで近道だ。子ども自身が楽しみ、熱中することが、意欲につながる。

褒めてあげるのも良い。子どもが物事を好きになるきっかけのひとつは、「他のみんなよりできるから、みんなに褒められたから」だ。

でも、自分が好きなこと、心から熱中できること、熱中してのめり込んだことには敵わない。その経験はいつかきっと活きてくる。

好きなことを活用する方法や工夫なんてすぐに見つかる。

熱中する内容にに上下関係なんてない、世間体とか周りの視線とかいう目に見えないよくわからないものを親が気にしているだけだ。まぁ犯罪や怪我につながることは避けた方がいいと思ってしまうけど。

これからはそんな熱中できること、のめり込めることにエネルギーを注いで、尖りに尖った人が活躍する時代がやってくる。