数年前の話。
幸か不幸か僕は二十代で中間管理職のようなポジションに任命されてしまった。
拒否権はなかった。
学校という組織の中で、20人ほどをまとめないといけない立場だ。でも僕より年配の人が大半という状況。
教員というのは不思議な職業だ。
子どもを管理して言うことを聞かせようとするのに、管理職に管理されるのは気にくわない人がいる。
子どもが暴言を吐いたら怒鳴りつけるのに、管理職に対しては平気で怒鳴り散らし、理不尽な要求や正当な指示を突っぱねる人がいる。
そして伝統に重きをおく人もいる。「今までは、昔からこうだった」と。時代が変われば考え方や学校を取り巻く状況も変わるはずだけど。
そして成果が目に見えにくい。車を何台売った、契約何件とってきたなんて言うのは明確な売り上げに繋がり、成果がはっきりわかる。でも教育で即時的に目に見える具体な成果は難しい面があるし、そもそもの成果の考え方が個人によって大きく異なる。
成果があろうがなかろうが給料はほとんど変わらない。積極的に仕事をせず、事なかれ主義を突き進む人もいる。
正しいかどうかより、声が大きいかどうかで決まることもある。
そんな教員の方々(もちろんそうでない方もたくさんいる)、しかも大半が一回りも二回りも年上の方々の意見を取りまとめるのは大変だった。
そして管理職からはトップダウンの指示、指示&指示の日々。
管理職からの指示を会議で伝える。
会議で反対意見続出で責められる。
管理職に意見を持っていく。
管理職は聞いてくれず、また指示を会議で伝える。
これの繰り返し。
ザ・中間管理職の苦しみ笑
そして担任を外されてしまったので子どもたちと関わる時間も少なくなり、段々と仕事に行くのがしんどくなっていました。
そんなとき、生徒関係のトラブルが発生。
声の大きい先輩教員の失敗(本人は失敗とは思っていない、子どもが悪いと思っている)が原因だけども、大半が声の大きい先輩教員に対して何も言えない状態。
でもみんな思っていることはあるのであるので、中間管理職の僕に「あれはどうかしてると思う、なんとかならないのか」と訴えてくる。
そうした声に押された僕が、先輩教員に話をした。烈火のごとく怒り、全く話を聞かない先輩教員。
その後、少人数の会議の場で吊るし上げられらように暴言を吐き、先輩教員は怒りをぶつけるようにドアを閉めて出て行った。
僕は茫然自失の状態。
「なぜ怒鳴られるのかわからない」
一連の出来事が終わってからは、その場にいた人たちは「大丈夫?」「貴方は悪くないよ」とフォローしてくれた。
でも僕の心に残ったのは、「いざという時には誰も助けてはくれない」という悟りにも似た思いだった。
終わった後のフォローはしてくれる。でも、助けて欲しかったのは僕が怒鳴り散らされている正にその瞬間だ。誰かに助けてほしいその場面では、誰も助けてくれなかった。すごくショックだった、でも実際世の中そんなもんなんだろうなとも思った。
自分を犠牲にしてまで他人を助けるのは難しい。
ぼくが得た教訓は、「いざという時に誰も助けてくれなかった。だから、誰かが助けてくれるとは限らない、期待してはいけない」ということ。
それと矛盾するようだが、自分は大切な人に対してはいざという時に助けられるようになりたいなと思う。
伊坂幸太郎の『魔王』にある、クラレッタのスカートを直せる人になれたら。
いざという時に動けるためにはいろいろと準備しておかないといけない。
その辺の話はまたどこかで。