昔、教員1年目の頃、クラスにやんちゃな子がいた。教室を飛び出す、悪口、友達に手を出す、からかう、ドッヂボールに負けたら納得できずに暴走などなど。
「悪いことはちゃんと叱らなあかん」そう思っていた当時の僕は叱った。叱って叱って叱りまくった。みんなの前で、教室から抜き出して別室で。
で、その結果、僕はしんどくなった。叱っても叱っても効果があるのはそのときだけで、5分もすればその子はけろり。小学校からも叱り倒されてきたエリート問題児のその子にとって、1年目の若い僕の叱り方は大したことがなかったようだ。別室に呼び出してもニヤニヤしていたし、威圧してしまったこともある。
「どうしたらええんや」と思っていたそのときに手を差し伸べてくれたのは年配の相担任の先生だった。
「子どもの悪いこと10の内、叱るのは1つか2つまでにしときや。全部叱ったらあかん。今の君は9くらい叱ってるんちゃうか。あと叱ったらいっぱい遊んであげて、ほめたげなあかん。じゃないと何も話聞いてくれへんくなるで。」
そこが僕の教員としてのスタートラインになったと思う。もうご退職されているその先生には本当に感謝している。
叱ることについてはその後も色々と学んだ。
応用行動分析もそうだし、育児の中でもそうだ。本当に叱るべきこと、自分の中で大切にしている軸を持たないといけない。
また同僚が叱ったり威圧感で子どもをコントロールしようとしているのを見ていて、叱ることはあまり意味がないんじゃないかと思うようになった。
子ども本人の思いや認知を聞き出し、受けとめ、理解しないと、その子の行動を無理矢理強制することになってしまう。本当にその子が変わるためには、本人の納得が不可欠だと思う。
もちろんダメなことはダメと伝えるのも大事だけど。
叱られる経験もときには必要だけど。
大体、「子どもは叱られなわからへん」という大人の大半は、自分が上から叱られたときに納得せずに反発する。
なのに子どもには叱られて納得することを強要する。それってフェアじゃない。
人間は「何を」言われたのかよりも、「誰に」言われたのかを重視する。
僕がどんな熱意で、そのへんの女子高生に因数分解の楽しさを伝えてもわかってもらえないと思う。でも、菅田将暉がサプライズ的に登場し、「僕と一緒に数学勉強しよう」と言われたら、0.2秒で「はい」と返事が返ってくるはずだ。(この例えば菅田将暉であっているのか若干不安だけども)
じゃあ、菅田将暉にはなれなくても、その子の行動を変えたいのなら、その子が「コイツが言うてるんやったらしゃーないな」と思えるくらいの関係性を作る方が先なんじゃないか。
逆に叱ってばかりだと「アイツの言うことは聞きたくない」となってしまう。
僕たち大人だって、嫌いなヤツはいる。嫌いなヤツの提案は、どんなに良いものだって「でもここが…」とケチをつけずにはいられない。
やっぱり信頼が人間関係の基盤で、ここがしっかりしてないと繋がれない。
まぁ子どもを変えることが良いかとかどうかはさておき、子どもに行動を変えてほしいと思うなら、優先すべきは叱ることじゃない。
叱ることを絞って減らし(大体絶対に叱らないといけないことって何なのか、考えるほどわからなくなってくる)、ほめるべきところはほめて一緒にたくさん遊び、信頼関係を築いていくことなんじゃないですかね。
そんなことを考えました。