道徳の授業の取り組みで、自分を見つめ直すというのをやっています。
試験の面接対策も兼ねて。
自分で自分のことを見つめ直したり、他者から自分について評価されたりする中で、自分の長所と短所を考えていきます。
そのとき、伝えているのが「長所は短所、短所は長所」という言葉です。
初めて聞いた子どもたちはキョトンとするのですが。
でも考えてください。
「優しい」っていいことですか?
こう聞くと大半の人が「いいことだ」と答えます。
でも本当にそうでしょうか?
優しいということを、相手を大事にすることや気遣いをすることだと捉えるなら、自分を犠牲にして相手を優先することはいいことでしょうか?気遣いしすぎてしんどくなってしまうのはいいことでしょうか?相手が対立したときにどちらのことも考えすぎて、気を遣いすぎて優柔不断になり決められないのはいいことでしょうか?
長所も過ぎれば、短所になるかもしれません。
反対に、短所も見方を変えれば長所になります。
落ち着きがないということは、いろんなものに興味があると言い換えられるかもしれません。
物静かでおとなしいということは、内面でじっくり考えるタイプと言い換えられるかもしれません。
緊張して固まってしまうということは、それだけいろんなことを大事に考えていると言い換えられるかもしれません。
見る角度が変われば、同じものでも違って見えてきます。
ただでさえ人間はいいところよりも駄目なところに目がいく生き物なので。
そんな風に短所の見方を変えて、リフレーミングする際に、アプリ「ネガポ辞典」というものを使ったりします。
この長所と短所の話は以前書いたブログのメリットとデメリットの話に繋がるかもしれない。
面接のことや、この先のいろんな人との出会いや自分の説明をすることも想定しているので、長所と短所をまとめる際には、長所は具体的なエピソードをいくつか用意しておくこと(○○だと保護者や教員から褒められた、○○なときに友だちから言われたなど)、短所はプラスな見方やそれに対する工夫を含めて説明すること(忘れっぽいところは、失敗したことをすぐに切り替えられる長所でもあると考えています。また忘れ物をしないように約束や提出物などはすぐにスマホのリマインダーにメモるようにしています。など)をアドバイスとして伝えています。
算数や数学で習った数直線やグラフ、分布図などの影響か僕たちはどうも世の中には決められた基準があって、優しいとか親切とか真面目とか努力家とかいうのに絶対的な価値があると考えてしまうようだ。
でも現実の世の中はそうではなくて、もっと多面的で時代や場所、文化や人や立場が変われば、絶対的だと思っていた基準はすぐに入れ替わる。
そう考えると自分の考えや行動が正しいのか正しくないのかがわからなくなって不安になったり混乱してしまったりするのだけれど。
長所や短所と言うのものは、あくまでもそのものの一面でしかないと言うことは知っておかないといけない。